1020年3月 閑話:未来の為の標となる

娯楽。それは生きる為の活力。

※「1019年1月 閑話:希う」を頭の片隅に置いて頂けると、より興味深く読んで貰えるのかなと思っています。

違う軌跡の、同じ憧憬。

理解出来なくて、反発して、敢えて望みとは違う道へと進んで、辿り着いた先にはあの頃と似た景色があった。
ここまで来てようやく、自分もあの人と同じ事をしていたと気付く。
それに気付く事が出来たのは、あの人と同じ位にまで年を重ねてきたからこそ、なのだろう。

……なんて、ちょっと気取った書き出しになってしまいましたが。

信武の物語も佳境へと入ってきました。
ここに来てようやく巡流と信武の一族に対する思いが繋がったと言いますか、一度途切れてしまった高千穂家の系譜が再び一つに繋がったのかなと思っています。

過去、巡流は信武に「一族の道標になって欲しい」と伝えました。

1019年2月 閑話:視線の先へ」より

これは巡流にとってはある意味大きな賭だったと思います。
信武の視線の先にあるものは巡流が求めていた答えかもしれないし、更に問題を大きくしてしまうものかもしれない。
巡流には信武の考えは全く理解出来なかったけれど、それでも信武を信じて大きな賭に挑んだのでしょう。

1019年2月 閑話:視線の先へ」より

こうやって受け取ったバトンですが、当時の信武は巡流の事を「反面教師」として走り続けてきた訳で。
信武としては「遺志を継ぐ」のではなく「新しく高千穂家を盛り立てる」気概でいたと思います。

でも去年末に自分の「終わり」を認識して。

1019年12月 閑話:春を迎える意味 」より

多分あの時点では気持ちの昇華は出来てなかったと思うんですよ。
当時は強がりも入っていたし、命音の言葉に救われていた部分もあったのかなと。

今回の件で巡流の真意に気付いた事で、信武はようやく気持ちを踏ん切ったのかなと思います。

1019年1月 閑話:希う」より

当時の巡流が同じようなタイミングで気持ちを踏ん切っていたように。

ぶっちゃけた話ですが、他部門もろくに投資出来ていない状態で娯楽部門に投資しようと思ったのは「前世代との区別をつける為」って意味合いが大きかったりします。
巡流の頃を振り返ると、卒なく攻略を進めようとしていて全然遊んでいなかったので、だったら信武へ代替わりしたタイミングでいつもと違う事をしてみようと考えまして。
それが信武の性格と相成って、今の世代のカラーにもなっていったのかなと。
今までプレイヤーが娯楽部門へ投資を始めるのは資金的に余裕が出てきてからと言う事もあり、お金が無いと言い続けている最中での娯楽部門への投資はプレイヤー的に葛藤との戦いなのですが、プレイ記的には正解…だといいなぁ。

娯楽部門に対する信武の言い分は元々プレイヤー向けの後付け設定(葛藤に対しての理由付け)から来たものだけど、これらは今後の高千穂家にとって良い方向での道標になってくれるのではないかと思います。
(本当にそうなるかどうかは今後の進み方によって変わると思うので、断言出来ないんだけどさ……)

「一族として悲願達成と解呪を望むこと」を諦めて「短いながらも満足する人生を進むこと」を選んだ信武の子供が「悲願に興味が無く我が道を進む」のが、また感慨深いというか。
親子って言うのは、どことなく似てしまうものなんだよなと。