1019年2月 閑話:視線の先へ

僕には最期まで判らなかった、その視線の先へ。

知ってはいるけどそれでも辛い、一族との最期の別れ。
漫画にするとマジ辛いね…辛いね……。
それでいて内容がコレだから、ちょっとめげそうでした。

巡流の結末についてはコレしか思いつきませんでした。
家族の為に朱点童子討伐の策を練り続けていた巡流なので、家族との関係も生きている間に解決したいと考えていた筈です。
でも和解出来るまでの時間が無さ過ぎて、結局巡流には「不和の元凶を消す」って方法しか採れなかった。
そういう事だったんだろうなぁ、と。

イツ花は「本当にこれで幸せなのか?」と言ってましたが、そもそも巡流には「自分の幸せ」と言う概念が無かったと思うんですよね。
だからこそ、こういう「策」を何の迷いも無く選択出来て、これで家族を困らせる問題は無くなったと本気で考えてるんだろうな。
巡流は自分の人生について、やれるだけの事をやり尽くして満足はしている事でしょう。
でも、本当に巡流が幸せだったのかについては…何とも言えないです。

ずっと一人称が「僕」だった巡流が、遺言の時だけ「俺」と言った事に関して。
これについても、巡流が故意的に言ったんだと思います。
遺言って、遺された人達のとっては故人に繋がる最後の思い出じゃないですか。
やっぱり記憶に残りやすいし、特に初代当主の残す言葉は今後一族の根源に関わる重要なワードになっていく訳ですよ。
そんな遺言の直前に、巡流は「自分の事は忘れていい」って言ったんです。
「高千穂 巡流」と言う存在は過去に置き去りにして、記憶から消し去って、目の前にある未来へと進めと言ったんですよ。
だから、わざと遺言から「高千穂 巡流」の痕跡を消したのかな、と。

自分の死を悲しむ暇なんて作らせない。一歩でも前へ向き、決して自分の方を振り向かせないように。
これは巡流が最期の最期に見せた、大切な家族への愛情なんだと思います。

その言葉は人から人へと伝わり、きっとそこから初代当主の事を思い馳せる未来の一族がいるかもしれない。
でもそこにあるのは「高千穂 巡流」ではなく「高千穂家初代当主」と言う別の概念なんだよなぁ。
巡流の人生を見てきた側からすると、それはとても寂しい話なのだけれど。