1022年2月 閑話:僕達の失敗・転

ごく普通に生きたかっただけなのに。


晴天の空に美しい笛の音が響く。
奏でているのは大柄の男性だが、その手に笛らしき物はない。
その人は、自分の指だけでその音色を周囲に響かせていた。
そして、足下にはその様子をきらきらとした瞳で見つめている幼児が一人。

「父君っ! 凄いですねっ!! 是非俺にも教えて下さいっ!!」

一通り曲を奏で終わったのを察すると、男性の足下に居た幼児が彼の足に抱きつき強請り出した。
父と呼ばれた男性は幼児を片手で抱き上げると、もう片方の手で幼児の頭を撫ぜる。
父親に撫ぜられ、幼児は嬉しそうに笑った。

「そうか。ならば、まずは音を出す所からはじめるか。ほら、指をこうして……」

父親の言う通りに指を形取り思い切り拭いてはみるが、幼児の指からは掠れた空気の抜ける音がするだけで綺麗な音は出てこない。
幼児は不思議そうに頭を傾かせた。

「大丈夫だ。要領の良いお前なら少し練習すればすぐに音は出る。今日は共に練習しよう」
「はいっ、父君!」

屈託の無い笑顔を見せながら子を見つめる父親と、そんな父親とよく似た屈託の無い笑顔を浮かべ元気いっぱいに言葉を返す幼児。
何処からみても、幸せそうな親子の姿だ。

__後に高千穂たかちほ 報世しらせと名付けられるその子にとって、父親と二人きりで過ごしたこの時期が、人生で一番幸せな時間だった。


あれは何時だっただろうか?
確か成長具合を確認するとかそんな理由で、よく知らない施設へ父神である大隅おおすみ 爆円ばくえんに連れてこられた時の事だ。
丁度あの時は報世の近くに大隅 爆円はおらず、休憩中に報世は一人施設内の中庭で指笛の練習をしていた。
要領の良かった報世はあの後指笛をすぐに習得し、新しい曲を披露する度に大喜びする父親の笑顔が見たい一心で、この日も新しい曲を覚えようと夢中で指笛を奏でていたのだ。

そこに、施設の職員であろう何人かの人達が会話をしながら通りかかった。
報世は指笛を止め、その人達の方を見る。
職員達は報世の存在に気づきもせず、下世話な噂話に夢中となっていた。

「__そう言えば今日、例の子が来ているみたいだよ」
「例の子? 何それ教えて」
「あんなに有名なのに知らないの? ホラ、あの一族の一番新しい子供で、ちょっと前に話題になった……」
「もしかして子供作りに来たのに土壇場で拒否って大騒ぎになったって、あの女の話?」
「そうそう。大隅 爆円様もそれなりの神様だって言うのに、人間相手に大恥かかされちゃって大迷惑だよね」

報世は、知らない人達が語る父親についての噂話を、きょとんとした顔で聞いていた。

「あれ、でも子供いるんでしょ? それじゃあ結局は……」
「それがね、あの方お抱えの研究員達が、何かよく判らない事して子供あの子を作り出したみたいだよ。そんな何処から現れたかも判らないような気味が悪い子供をよく育てられるよね、大隅 爆円様も」
「普通だったら断ると思うのに、そんな子供を自分の子として育ててるなんて、大隅 爆円様って余程の変人よね」

気味が悪い子供……?

「でもさ、人間なんてそんな簡単に作り出せるモノなのかな?」
「あの研究員達って倫理を無視したエグい研究をしてるって噂だから、それ位は容易いんじゃない?」
「そう言えば、今までも人体実験してるって噂が何度も流れてたものね」
「研究室のある棟の方から夜な夜な変な音や声が聞こえてくるって話を聞いた事もあるし」
「あの人達、『あの方』の後ろ盾があれば何でもやっていいって思ってそうだからね……って、やばっ!」

噂話に花を咲かせていた職員達が、中庭で座り込んでいる報世の存在に気付き、顔色を変えた。

「噂をすればあの子じゃない。もしかして今の話、聞かれてたかな?」
「大丈夫だよ。あんなちっちゃな子供じゃ聞いても判らない筈だから」
「そ、そうだよね。行こうっ!」

ばつが悪そうな様相を見せつつ、職員達はその場を足早に去って行った。
その場に居た報世は、ただただ職員達が話をしていた場所を見つめ続ける事しかできなかった。

『大隅 爆円様もそれなりに偉い神様だって言うのに、人間相手に大恥かかされちゃって大迷惑だよね』
『何かよく判らない事して子供あの子を作り出したみたいだよ』
『倫理を無視したエグい研究をしてるって』

報世の頭の中では、職員達が話していた内容がぐるぐると渦を巻いている。
職員達は幼児だと侮っていたが、報世は生まれつき同じ年齢位の子供達と比べ要領が良く、物覚えも早かった。
故に、報世は職員達の会話の意味を、おおまかではあるが理解出来てしまっていたのだ。
この時ばかりは報世の出来の良さが悪い方向へと働いてしまった、としか言いようがない。
報世は衝撃的な事実を前に身動きできなくなってしまった。

施設の職員達が通り過ぎてから少し後、中庭に座り込んでいた報世の姿を大隅 爆円は見つけた。
いつも通りの笑顔を浮かべ報世に近付いた大隅 爆円だったが、子供の顔色が蒼白となっているのに気づき、表情を一変させる。

「どうした、何かあったのか?」
「…………………………」

心配そうに話しかける父親のことを、報世は硬い表情のまま見ていた。
いつも通りの、優しい大好きな父親の姿である。

(……でも、あの人達は父君をあざ笑っていた。自分のような、よく判らない異物と一緒に居る所為で)

途端、報世の形相が大きく歪んだ。
子供の異変に気付いた大隅 爆円は、その両肩を自分の両手でしかと支えようとした。
しかしその手は報世によって振り払われてしまう。
報世は大隅 爆円から離れたいが一心で、中庭から駆け出してしまった。
行き先なんて何処にも無い。ただただ、父親の居ない、誰もいない場所へと行くために。

以降、報世が地上へ赴くまで親子が顔を合わせる事は無かった。


自分は地上の鬼退治をする為だけに作られた異物で、それ以外は何も望まれていないし、望む事も許されない。
そう悟ったのは、中庭での一件から程なくであった。
完全に心を閉ざし周囲への拒絶を繰り返した報世は、地上に送り出されるまでの間、何処か知らない場所の一室に引き籠もっていた。
いや、正しくは閉じ込められていた。言う事を聞かず手が掛かる存在だからと言う理由で。

部屋の中で、報世はずっと一人で考えていた。
自分という異物を作り出した天界に関わる全てから逃げ出す方法を。
こんな異常な状況から抜け出して自由になるためには、地上へ行き鬼退治とやらを完遂しなければいけない。
報世が存在する理由さえ果たせば、天界はきっと用無しの異物なんて見向きもせず容易に捨て置くであろう。
鬼退治がどれ程の難しさなのかは判らないが、父親から幾度となく優秀だと褒められていた自分が居れば成し遂げられない筈は無い。報世はそう考えていた。

しかし、地上で待ち受けていたのは、報世が抱いていた期待や自尊心をことごとく粉砕する出来事ばかりであった。

家族だと言われた人達は、報世には理解出来ない独特な常識や社会道徳を持っていた。
使命はさて置き各々自分の好きな事ばかりに手を付けているので、鬼退治は遅々として進まない。
一族の呪いに至っては誰も気にしていないどころか、あたかもそれが当然であるかのように考えている節さえある。
呪いさえ無ければ自分達は何の制限も受けず好きなように生きる事が出来るし、それをこの先何十年も享受できると言うのに、この家の人間はこんな簡単な理屈に気付きさえもせず、のうのうと自分の時間を浪費しているのだ。
そんな脳天気な馬鹿者共の集まり……の筈なのに、「努力の秀才」である報世を遥かに凌駕する「天性の鬼才」が揃っていて、報世の御株は家族達に全て奪われてしまった。
苦しみから解放されるために訪れたはずの地上でも、報世は一族内においても自分は異物なのだと突き付けられてしまい、見る見るうちに己が居場所を無くしていったのだった。

悔しかった。自分の境遇の悪さも、才能の無さも。
でも、とにかく、どんな形でもいいから自分を蔑ろにしたアイツらから……いや、アイツから一矢報いてやりたかった。
……報世にとって待ちに待ったその機会が、自身の交神が執り行われる時であった。


「そなたは何故、わらわとの交神を所望したのでしょうか」

鳴門屋なるとや 渦女うずめは優雅な微笑みを浮かべながら、姿を見せたばかりの報世に対し、開口一番でそう尋ねてきた。
報世は微笑みを浮かべ、いつも通り人当たりのよい態度を取りながら、当たり障りのない言葉を鳴門屋 渦女へと返す。

「勿論、強い子を授けて頂こうと考えたらですよ。当家はもうすぐ大江山の朱点童子討伐へと向かう段階ですが、それでもまだまだ油断は出来ませんからね」

報世の返答を聞いた鳴門屋 渦女は、軽くため息を吐いた後、優雅な笑みを浮かべたまま眼光を鋭くした。

「それは嘘、ですね?」
「嘘ではありませんよ。僕は……」
「わらわはそなたのご両親の話、そしてそなたが地上へと行く前の出来事を知っています」

報世の目が見開いた。

「あのような境遇を過ごしてきて、天界には良い思い出もないであろうと思うに、それでも何故そなたは天界へと再び訪れ、交神を望んだのかを尋ねているのです」
「…………………………」

報世の口角が下がっていく。
それを確認すると、鳴門屋 渦女は恐らく報世が言われたくないであろう言葉を続けていった。

「その辛さや厳しさを一番思い知っているであろうそなたが、何故両親と同じ過ちを敢えて自ら犯そうとするのか……わらわには何か裏があるからとしか考えられぬのです」
「…………………………」

報世の境遇を哀れむ気持ちも確かにある。
だが、一連の発言は、鳴門屋 渦女にとって高千穂一族への意趣返しにもなっていた。
友人達を傷付け、その名誉に泥を塗り、結果自分達の交友関係をも壊したこの一族に対しての、ささやかな口撃なのだ。
人々を見守るべき立場の神様とは言えど、それ位はしてやらなければ気が済まない程に彼女は腹を立てていたのだ。

「望まぬ交神でそなたが心を痛めているのと同じように、神族にも望まぬ交神で心を痛めている者が居るのです。わらわはこれ以上の悲劇を望みません。故に……」

ここで言葉を句切ると、鳴門屋 渦女は己が出来る最大級の怒気を込めて、残りの言葉を吐き出した。

「わらわはおぬしとの交神を望みません。このままお引き取りなさい」

鳴門屋 渦女の言葉を最後まで聞き終えると、それまで下がっていた報世の口角が再び上がっていった。
そして報世は、嘲笑を浮かべながら鳴門屋 渦女へと言葉を返し始めた。

「……そんな事言える立場だと本気で思っているのなら、それこそ良い笑いものだな」

その態度は明らかに先程とは変わっていた。
報世は横柄な態度で、鳴門屋 渦女を小馬鹿にするような表情を隠すことなく見せていた。

「いきなり何を申すかと思えば。……そなたにはもう用は無い。早々にこの場から立ち去るがよい」
「お前に拒否権なんて無いんだよ。そんなにも俺にさっさと帰って欲しいと言うんだったら、黙って俺の言う事を聞いてガキを作ればいいんだ。俺に余計な手を煩わせるなよ」
「無礼者が! 幾ら神の血を継いでいるとは言え、あくまでも人であるそなたが神であるわらわに敵うわけないであろうっ!」

鳴門屋 渦女が報世に向かって腕を払う。
瞬間、その腕から鋭い水の刃が数本発生し、勢いよく報世へと向かっていった。
水の刃はそのまま報世を容赦なく切り刻む……かと思われていた。

しかし、水の刃は報世に直撃する前に敢え無く砕け散った。
報世には傷の一つも付いていない。
その様子に、今度は鳴門屋 渦女の方が目を見開く番であった。

「なっ……」
「やっぱりな。コレ、腕に付けていても使えるじゃないか。……まぁ、鯰の尻尾に付いていても効果があったんだから、大体想像は付いていたけどな」

そう言うと、報世は着物の左腕を捲る。
彼の左腕、丁度肘当たりの部分に、鈍い赤色の装飾具が付けられているのを鳴門屋 渦女は認めた。

「それは、もしや朱ノ首輪……」
「神力を封じ込め神を拘束する効果がある首輪だ。身に付ければ外部からの神力をある程度は無効化できる。そう考えても何らおかしくないだろう?」

鳴門屋 渦女の顔に焦りの色が浮かぶ。
今まで彼女を優位に立たせてくれていた神力の存在が報世に対して全く役に立たないと判明した今、互いの体格差を考えれば鳴門屋 渦女の方が非常に不利であろう事は明白だ。
じりじりと、鳴門屋 渦女は後ずさっていく。

「どうしたんだよ。さっきまでの威勢がすっかり無くなったじゃないか」
「このような行いが許されると……」
「許されるなんて甘ったるい事、俺が考えている訳ないだろうが。そもそも俺には……俺達には、お前らに逆らう権利なんて、ひとかけらだって無いんだろう?」
「それは……」
「否定しないのか? 本当に骨の髄まで傲慢だよな、天界の神様方は」

報世の右手が、鳴門屋 渦女の細い首元に掛かる。
思わず彼女は報世から顔を背けた。
薄い唇を引き締め、悔しそうな表情を浮かべている女神を見て、報世は勝ち誇ったような笑みを浮かべながら行った。

「……もう一度だけ言う。黙って俺の言う事を素直に聞け。そうすればこれ以上手酷い扱いはしない。……どうする?」


「__そうだ夏来なつき、コレを蔵に返しておいてくれないかな?」

そう言って夏来に朱ノ首輪を投げつけた時、報世はこの家に来て初めて達成感と優越感を感じていた。
あの夏来に一泡吹かせることが出来た事実が何よりも嬉しくて、自室に戻ると思わず顔を綻ばせ、両手を握り込み、高らかに声を上げてしまった。

「ざまぁみろ!」

これは全て、自分の才知を過信し他人を見下した夏来に対する罰なのだ。
夏来はこの家の人間を、何よりも報世の事を自分よりも格下だと完全に見くびっていた。
窮鼠猫を噛む。きっと夏来は悔やんでいる事だろう。報世に情けを掛けた事を。

アイツが酒に溺れようが、身持ちを崩そうが、俺には関係無い。
大江山へ征き、朱点童子を倒せば全てが終わる。
そうしたら俺はこの家から……いや全てから自由になるんだ。
今までのしがらみも何もかも捨て去って、全て無かったことにして、新しい人生を歩んでいくんだ。
ごく普通の、ただの人間として。

……そうなるはずだったんだ。


報世にとって人生のキャリアハイは幼少期だったんだよ、と言う話。
今まで殆ど語ってこなかった報世の過去と内情をこれでもかと言う位に吐き出してしまいました。
語ることが出来てスッキリしたと思うのと同時に、こんな禍々しいモノを世に放って良かったのかと心配もしております。

報世についてとにかく何よりも強く言いたい事は、報世はごく普通の人間なんだよって事です。
確かに俺屍の一族らしく鬼に勝る強さを持っていたり呪いを受けた特殊な出身ではありますが、中身は京の町で暮らしている市井の人達と同じ認識や感覚を持っている子なのです。
故に他の家族とは異なった利己的な見解を出したり、心の中で泥臭い感情が渦巻いていたりするのですよ。
それらは今までの高千穂家の子達からは中々見られなかった、正に人間らしい反応なんだよなとプレイヤーは思っている訳なのです。

以前の話では「一族にとって種絶も短命も当然の日常」だと説いていましたが、相手が報世となると話は変わります。
彼にとって種絶も短命も一族の使命も全てが「普通だったら受け入れられない異常な事態」なのです。
何で自分は京の人達とは違って2年弱しか生きられないのか?
何で他人から勝手に押し付けられた使命を抱えなければいけないのか?
だからと言ってそれを表立って拒絶するほど頭は悪くないし、仮にするとしても悪目立ちは極力避けたい。
世俗的過ぎる為に好きに動く事が出来ない、とても息苦しい状態で報世は日々を生きているのですよ。

でもそれはプレイヤーの、延いてはこのプレイ記を読んで下さっている方々の立場からすれば、ごく普通の見解ですよね?
日本の平均寿命は80年前後。報世からすれば40倍も長生き出来る訳で。
そんなプレイヤー達と同じ感覚で報世が生きているのならば、その苦しみは計り知れないのではないかと思ってしまうのです。

報世が頻繁に自室へ引き籠もっているのは、自分にとって異様な現状から逃げ出せる場所が自室しかないからです。
襖一枚とは言え外界から隔離された「報世にとって正常な普通の世界」が自室だけにはある。
だから引き籠もらざるを得ないんだなぁ。

報世はどんどん道を踏み外しています。これもまた報世が人間らしい故の転落劇なのかなと。
当然の事ながら報世がこんな人生を望む訳はなく、彼の取り巻く環境が彼を咎人に仕立て上げてしまったのです。

咎人にも事情があるとはいえ、起こしてしまった出来事は消えません。
雪衣ゆいとの件も然り、交神の件も然り、子供の件も然り。
この重ねてしまった咎を抱えて、報世は今後も生きていくしかないんだよなぁ、と。

それにしても。
もしも報世が大隅 爆円様の所に居た時から変わらず、拗ねずに成長したらどんな子になっていたんだろうか?
色んな人を事ある毎に軽蔑しまくっていた報世だけど、父神様である大隅 爆円様の事だけは悪く言っていなかったんだよね。
出来るなら、大隅 爆円様によく似た笑顔を見せる報世が高千穂家に居るルートも見てみたかった。