1022年2月 閑話:僕達の失敗・結

それが僕のレジスタンス。


天界に居る頃、自分を哀れんでくれた神様が居た。
僕はその人の事を忘れられなかった。


夏来なつきは地上へ訪れる以前、まだ天界に居た頃の大半を『施設』と呼ばれる場所で過ごしていた。
母神様である那由多ノお雫なゆたのおしずが夏来を「捨てた」からだ。
何しろ突然の出来事だったので那由多ノお雫から直接理由を伺い知る事は出来なかったのだが、施設内で出回っていた噂話から夏来は早々に理由を悟っていた。
簡単に言えば、自分を捨てた男の子供なんて育てられる訳がない、と言った所だろうか。
理由が明確すぎて、子供である夏来も納得せざるを得なかった。

この件に関して夏来は那由多ノお雫を恨んではいない。
施設の職員達が那由多ノお雫に関する噂話に花を咲かせている姿を見て、夏来は母神様の心中を察していたからだ。
ああやって天界中に自分のスキャンダルが出回っている状況では、確かに子供の顔を見たくもなくなるだろうな、と。

それに夏来が那由多ノお雫のもとで過ごした僅か数日間のうち、一緒に居たのは数時間も無かったのだ。
あからさまに育児放棄されていた時点で既に自分への愛情は無い事は理解していた。
彼女の従者が(仕方なく)自分の面倒を見てくれていただけ状況はましであると言えよう。

それはともかく。
どうやらこの場所は、とある大物の神様が管理している大規模な研究施設で、天界にまつわる事柄を多岐に渡って調査及び研究を日々行っているらしい。
噂では倫理を超えた超法規的な研究も行っているのだとか。
ただ、夏来が知る限り、噂で流れているような非道な研究は行われていない様子である。
自分達一族も研究対象との事だが、夏来自身が尊厳を傷付けられるような扱いを受けた覚えはない。
研究者達はいずれも一般職員よりも尖った性格の持ち主が多いので、きっと誤解が重なった結果なのだろうなと夏来は推測している。
……とは言え、彼らが真っ当かと言われれば、夏来自身も言葉に詰まる部分は多々あるのだが。

施設での夏来の待遇はとても良かった、と思う。
保育士が居て適切に面倒を見て貰えたし、食事はちゃんど出てくるし、夏来からの願い事は大体聞いて貰えていた。
施設では時々身体検査が入るくらいで、後は行動制限は無い。職員達は皆、夏来に対して友好的に接してくれる。
だから夏来は自由時間になると一人で施設の色んな場所へ行き、色んな人達の話を聞いて回っていた。
多分幼児だからと施設の職員達も油断していたのであろう。
本来なら夏来に見せてはいけないモノや話してはいけない事柄まで、夏来の前で披露してくれていた。
何も判らない幼児のフリをして、夏来は着々と天界にまつわる色んな情報を仕入れていった。

夏来はこの日も施設を歩き回っていて、休憩に中庭へと立ち寄っていた時であった。
見知らぬ女性が夏来へと近付いてきた。
その身なりから、夏来は母と同じ水の属性を持つ神族なのだろうと推測した。
夏来が黙って女性を見つめていると、女性の方から話しかけていた。

「そなたは何をしているのだ?」
「……おさんぽ」

夏来は極力、自分と同じ年頃の幼児が喋るであろう口調で答えた。
女性の口調は仰々しいが、声色はとても優しく、優雅に笑みを浮かべている。

「散歩は楽しいか?」
「うん」
「……一人で寂しくはないのか?」
「うん」

夏来は首を縦に振った。これは夏来にとって本心からの答えだった。
この施設は夏来にとって欲しいものが無限に湧き出る宝箱のような場所だった。
日々新しいことを知る事ができ、夏来の好奇心を存分に満たしてくれる。
そんな場所で暮らしていて、寂しいなんて思うはずがないじゃないか、と。

しかし、夏来の答えに女性は悲しそうな表情を見せた。
夏来にはその理由が全く思い当たらない。
彼女には自分がそんなに寂しそうに見えるのだろうか?

「そなたが自身の境遇を寂しく思わないことを、わらわは悲しく思うているのだ」

夏来の心境を察したのだろう、女性は夏来の疑問に答えてくれた。
その言葉に、夏来は年頃の幼児らしいキョトンとした顔をする。
夏来の無意識な挙動を見て、女性は薄く微笑んだ。

「……本当なら母親へ存分に甘えたい年頃であろうに。不幸にも得られる筈の愛情を得ることが出来ず、幼くして大人になるしか無かったのだろうな」

そう言うと、女性は夏来の頭を優しく撫ぜてくれた。
頭越しから感じる女性の温もりがとても心地よくて、夏来の心の中はくすぐったさでいっぱいになる。
それは夏来が初めて知る感情だった。

同時に夏来は気付く。
こうやって誰かに頭を撫ぜて貰うのは、物心が付いて以降初めてだった事に。
那由多ノお雫も、施設の職員達も、夏来の周囲に居た大人は皆、必要以上に夏来に触れようとはしてこなかったのだ、と。

鳴門屋なるとや 渦女うずめ様、お見えになっていたのですね」
「ええ、訪問時間までまだ時間があったので、庭園を拝見しておりました。こちらの庭園は天界でも見たことのない花々が並んでいるのですね」
「ここの草花は研究員達が人工交配で作り出した新種ばかりですからね」

職員に呼ばれて女性の手が夏来の頭から離れると、それが何だか嫌で、もっと撫ぜて欲しくて、夏来は咄嗟に女性を呼んでしまった。

「あのっ」
「わらわに何か話があるのか?」

女性は再び夏来へと顔を向けると、優しく微笑みを見せてくれた。
呼んでは見たものの、今の自分の感情を言葉に出来ず、夏来は黙ったまま縋るように女性を見つめていた。
そんな夏来の様子を見て、女性は再び夏来の頭に手を乗せた。

「欲しい物があれば求めなさい、遠慮ばかりでは何も手に入らない」

そう言うと、女性はすぐに手を離し、そのまま職員のいる方へと進み出してしまった。
今度こそ彼女は振り返りもせず、夏来は女性の後ろ姿を目で追うことでしか出来なかった。

__あの女性ひとは本当に罪作りな人だった。
夏来が知らなかった感情を教え、必要な事だけを伝え、それ以降は夏来が地上へ赴くまで姿を見せることはなく。
もしもあの時あの女性ひとに出会わなければ、夏来は「寂しい」なんて感情をずっと知らずに済んだのに。


天界で聞いていた噂では地上は「文明水準がとても低く鬼と野蛮な人々がのさばる無法地帯」といった所であったが、実際地上へ訪れてみると「噂はやはり噂なのだな」と夏来はしみじみと実感していた。
確かに天界と比べれば遥かに文明水準は低い。とは言え京の都は帝を頂とした上意下達の律令国家としてしっかり成り立っていた。
日々の生活に不便は付きまとうが、だからといって立ち行かなくもない。
それに高千穂邸は天界の「加護」がある分、貴族を含めた他の人達よりも余程質の良い暮らしが出来ていた。
特に水洗関係は一族の健康にも影響するからか天界の仕様に近い設備となっており、その点においては夏来も胸をなで下ろしていた。

また、京の都における政治活動や一族の商業活動、そして天界に関わるであろう鬼達にまつわる逸話など、地上においても夏来の好奇心をくすぐる事柄が目白押しである事も、夏来にとっては僥倖であった。
家族には夏来の思っていた以上に「使える」人材が揃っていて、謀や暗躍を好む夏来には持って来いの舞台だ。
例え一族の悲願とされている「朱点童子打倒」とやらが上手く事運ばなかったとしても、これなら夏来も短い人生をおもしろおかしく充実して過ごしていけるでだろう。そう考えていた。
……たった一つの誤算を除いて。


昴輝いぶきが自身の交神相手に鳴門屋 渦女を選ぼうとした時、夏来は一瞬言葉に詰まってから違う人を推してしまった。
報世しらせに想いを悟られたのは多分その時だろう。
あの時もっと上手い対応を取れていたら、こんな事にはならなかったかもしれない。

報世が鳴門屋 渦女を交神相手に指名した時、言葉が出なかった。
その場で何とか自分の体裁を保つのが精一杯だった。

報世が交神に向かってから1日半。
予定よりも随分早く交神を終えて戻ってきた報世は、夏来を見かけると持っていた朱ノ首輪を投げ渡しこう告げた。

「……それじゃ、お先に」

やはり言葉は出なかった。
夏来の様子を見た報世は満足そうに自室へと帰っていく。
その後ろ姿を見送る事しか、夏来には出来なかった。

手の中にある朱ノ首輪が全てを物語っていた。
幼かった日の大切な思い出を土足で踏みにじられ、徐々にのし掛かってくる後悔と憎悪の重圧で精神的にも限界だった。
結果、酒に逃げた。
幾ら飲んでも酔えないし、気分も全く良くならなかったが、それでも飲まずにはいられなかったのだ。

そんな夏来に光を差し込んでくれたのは、あろうことか自分を追い詰めた男の子供だった。
最初は無碍に追い払っていたが、それでも少女は諦めず何度も近づいてきて、夏来の事を何かと気遣ってくる。
少女の健気な行動が気になって、ある日夏来は少女に理由を尋ねてみた。

「君は……何度も素気なく僕に追い返されていると言うのに、それでも何故僕と関わろうとするんだい?」
「あたしが諦めなければきっと答えてくれる。そう信じてるから、かな?」

少女はにっこりと微笑むと、言葉を続ける。

「ここに来る前に母さまから教わったんです。『欲しい物があれば求めなさい、遠慮ばかりでは何も手に入らない』って」

その言葉に、ようやく夏来は気付いた。
あの方はあの頃と何一つ変わっていない。そして自分もあの頃と何一つ変わっていなかった・・・・・・・・・・・・・・・・のだと。
あんなにも大切な言葉を、あの方から頂いていたというのに。

本当は、唯一自分を見てくれたあの人の事をずっと求めていた。
自分が求めなかった結果が現状ならば、それを変えるためにやる事は一つだ。

夏来は決断した、もうこれ以上後悔しない為に。


夏来が鳴門屋 渦女を交神相手に指名した件は、天界側にとって予想外の出来事であった。
同一神との連続交神自体が異例であるのと同時に、前回の交神が天界内でセンセーショナブルな話題として今なお持ちきりとなっている状況下である。
諸処の事情を鑑みてもさすがに今回は無理だろうと思われていたのだが、依頼を聞いた鳴門屋 渦女が相手との面会を望んだ事もあり、一族の交神を監督している施設側も厳戒態勢を取った上で交神を許諾する方向となった。

「そなたは何故、わらわとの交神を所望したのでしょうか」

鳴門屋 渦女は優雅な微笑みを浮かべながら、姿を見せたばかりの夏来に対し、開口一番でそう尋ねてきた。
夏来は微笑みを浮かべ、いつも通り人当たりのよい態度を取りながらも、淀みのない言葉を鳴門屋 渦女へと返す。

「あなたを愛しているから」

夏来の言葉に鳴門屋 渦女の目が見開いた。

「あなたは過去、僕に教えてくれました。『欲しい物があれば求めなさい、遠慮ばかりでは何も手に入らない』と。僕はずっとあなたが欲しかった。だから僕はあなたに交神を申し込んだのです」

それは夏来が初めて他人へ見せた自分の意思だった。


「__やぁ、報世。居るかい?」

報世の居室、締め切った襖の前に夏来は立つと中に居るだろう住人に夏来は話しかけた。
返事は無いが、それでも夏来はお構いなしに話を続けている。

「今、屋敷に戻ってきたんだ。君にもそれを伝えておこうかなと思ってね」

報世の動向なんて夏来じゃなくても把握出来る。
自室ここ以外に彼が留まれる場所なんて、この世には何処にも存在しないのだ。

天界むこうでは一ヶ月弱があっという間に思えたけど、やはり相応に時間は流れているんだね。僕が出掛けた時はまだ庭に雪が降り積もっていたのに、今はもう雪が解けはじめている。じきに花の季節だ」

そう語る夏来の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
夏来の表情から場の空気に合わない程に上機嫌であるのが見て取れる。

「花の盛りになった頃には僕達の子もこの家に訪れる。今から会うのが楽しみでならないよ」

やはり部屋の中からは返事は来ない。

「報世、僕は今とても幸せなんだ。そしてこれからも、ね」

そう、僕は幸せになる。
本懐を遂げ、その証を得て、周囲からも祝福されて。
この先もこの家で、君以外の家族と共に幸せな人生を歩んでいくのだ。

ほんの少しだけ、夏来の耳に部屋の中から布の擦れた音が聞こえてきた。
それだけで夏来には十分だった。

「僕は幸せになるよ。……それじゃ」

念を押すように言葉を重ねると、夏来は報世の部屋を後にする。
もう彼に何も用は無い。後は我が道を嬉々として進むだけだ。
彼が喉から手が出るほど欲しがっているのであろう、愛と幸福が溢れた日々を、彼の目の前で。

__そんなにも不幸になりたいのなら、君の望み通りにしてあげようじゃないか。
恨むなら愚かな自分を恨めばいい。全て自分で蒔いた種なのだから。

僕は君を、ゆるさない。


夏来はやると決めたら誰に対しても容赦がないんだよ、と言う話。
あー恐ろしい。

今回は夏来の半生を振り返りつつ今後の高千穂家の行く道を暗示させた、現時点において高千穂家の集大成となる話となりました。
これまで描けなかった高千穂家の設定も色々と出しております。
特に施設絡みの話題はようやく表に話すことが出来たなぁといった所ですね。
施設に関しては独自設定かつ一族に関係する大きな内容なので出すタイミングには凄く悩んでました。ええ。

一応補足しておきますと、報世が大隅 爆円様と一緒に来ていた施設と夏来が幼少期を過ごした施設は同一です。
そして、報世が幼少期に指笛を練習してた中庭と夏来が鳴門屋 渦女様と出会った中庭は同じ場所だったりします。
二人は色んな形でニアミスしているんだよなー。
視点が変われば印象も変わってくる、そんな施設については今後も色々な形で話を出していきたいなと考えています。

高千穂家の子達は施設の存在を知っていますが、今まで特に語るような出来事が無かった&正直よく判らない&全く思い入れが無い……ってな理由もあり、今まで彼らから話題に上がる事はありませんでした。
そういった事情もあって、どうしても施設が絡んできてしまう交神関係の話題はずっと言葉を濁すことしか出来なかったのですが、今まで出せなかった一族の交神ネタも含めて今後話が出来ればなと思ってます。

でもって本題である夏来の話なのですが、彼はとても合理的な人間です。
理由としては合理的に考えなければ正気を保てない環境に居たというのが大きい要因の一つですね。
(元々ドライな性格って事もありますが)
特に母親との一件は彼に多大な影響を及ぼしたのだろうと思います。
結果、個々の事情や感情なんて考慮しない、敵味方構わず策謀し必要ならば傷付ける事も厭わない子に仕上がった訳なのでして。
そんな夏来が今後やろうとしているのが「色んな人を巻き込んでの個人に対する仕返し」という、何とも救われない状態となってきてしまいました。

とは言え、夏来の性格から考えると報世憎きな感情だけでの行動ではありません。
夏来なりの構想が十分入っていて、何かしらの成果を想定しているのでしょう。
ただ、それが例え「一般的な認識として悪い事」だとしても悪びれもせず実行できてしまう、行動の判断基準に人情が関与してこないのが夏来の恐ろしい面ですね。
夏来の目論見通りに上手く行くのかどうかは別として、夏来のやらかしに対する顛末については今後も掘り下げていく予定です。

このシリーズは題名の通り「僕達の失敗」がメインテーマでして、今まで起こした高千穂家の面々が起こした失敗が何だったのかを物語中につらつらと列挙していきました。
初めて公表された出来事や、既知の出来事の詳細など、実は結構な数のやらかしがあるんだよなぁとしみじみ感じております。
これらが全て絡み合い、最後の最後で夏来が超弩級のやらかしを行うまでが「高千穂家にとっての大江山越え」だったのだろうなとプレイヤーは思っているのです。

言い換えれば、この話を終えた以降が高千穂家にとって本当の意味での新しいステージとなっていきます。
大小合わせた失敗を経た上で彼らが今後どうなっていくのか、失敗に対してどのようにけりを付けていくのか、それを見守って頂ければなと思っています。