1022年2月 閑話:僕達の失敗・起

願望という名の呪い。


俺の望みは朱点童子打倒。
理由なんて無い。
これは生まれてきた時から定められていた望みものだったのだから。


冬郷とうごは何をするわけでも無く、ただただ縁側から空を眺めていた。
雪雲の間から現れた冬晴れの日、綺麗に広がった薄い空色とやけに眩しい太陽の光が冬郷の頭上に溢れている。
そんな初春の明るい風景とは裏腹に、冬郷の表情は全く冴えないものであった。

本来ならこの時間を使い報世しらせの子に出来る限り稽古を付けてやらねばならないと頭では判っているのだが、全くそんな気分にはなれず、結局座学を言い渡してその場を離れてしまった。
ならば気晴らしに和歌の書物でも読もうかと手に取ってみたのだが、興に乗らず冊子は縁側の床と仲良くしている有様だ。
そして、この体たらくである。

このように腑抜け続けていても意味が無いのは百も承知だ。
しかし、どうにも頭の中が乱雑としていて何も手に付かない。
鬼を斬った数とどちらが多いのだろうかと思う程に自問自答を繰り返すうちに年は明け、正月は終わり、節分も過ぎてしまった。
このままでは何もしないまま桜の季節も迎えてしまいそうである。

「あっ、冬郷さん。いいところに居た!」

元気の良い声が冬郷の名を呼ぶ。
薄目で声のする方へ顔を向けると、ニコニコ顔の昴輝いぶきが冬郷に近付いて来るのが見えた。

「ねぇ冬郷さん、チョコ食べない? 折角だから皆で食べたいなって思って店で仕入れたのを少し貰ってきたんだ」
「ちょこ……一体何だそれは」
「チョコレートって名前の、外つ国から仕入れてきた菓子スイーツだよ」
「……そ、それはもしや去年茜葎あかりの奴が作ってきた、あのとんでもなく不味……」
「今日のは既製品だから大丈夫だって! ほらっ、食べてみてよ」

昴輝が自信満々にチョコが入った箱を冬郷へと差し出してきたのを見て、去年の苦々しい思い出を思い出しつつ、冬郷は恐る恐るチョコへと手を伸ばした。
記憶の中にあるチョコレートとやらは手のひら程の大きさで歪な形をしていたが、目の前にあるのは小粒で形良く綺麗な箱に品良く並べられており、周囲には甘い香りも漂っている。
口に含むとそれはゆっくりと溶け出し、口内を柔らかな甘さで満たしていった。

「……美味いな。甘くて、濃厚で、京には無い未知の味がする」
「でしょ? 温度管理が難しくて運ぶのが大変なんだけど、それでも仕入れる価値はある甘味スイーツだよね」

なるほど、これが本物の味か。ならば去年のアレは一体何だったのだろうか?
……気付いてはいけない謎に冬郷は頭を傾げる。

「しかし、本当に昴輝の血筋は不思議なモノを家に持ち込むのが好きだな」
「オレもかぁさんも燈衣とういも、品目ものはそれぞれ違うけどみんな珍しいモノ好きだからね」
「お前の祖父もそうだったぞ。渡来品の札を使って占術めいた事をしていたな。俺にはどういう理屈なのかさっぱり理解出来なかったが、よく的中するのだと初瀬はつせ殿が言っていた」

昴輝の祖父を思い出し、冬郷は懐かしそうな表情を浮かべた。
一月弱しか共に過ごす時間は無かったが、それでも彼の頼りがいのある笑顔は冬郷の中で強く印象に残っている。
そして冬郷は、ふと彼の言葉を思い出した。

『鬼退治だけが人生じゃない』

彼の言葉は冬郷の心胆に刺さり、その痛みで途端に冬郷の表情は苦味を帯びる。
__思い返せばこの頃から言われていたのだ。自分に対する苦言は。

『そうしないと……私達は単に戦うだけの道具にしかならなくなるわ』

勿論、彼女の言うような「誰かの道具」になるつもりは冬郷に無い。
しかし朱点童子討伐は高千穂家の悲願であり、必ず成し遂げなければならない宿命なのだ。
それを殊更望む事にどんな不都合があると言うのだろうか。

大体、高千穂一族に掛けられた呪いも、大江山の朱点童子も、鬼に苦しむ京の人達も、全て実際に存在しているではないか。
それに幼き頃から天界の神々から「高千穂一族には期待している」のだと聞かされ続け、母神様である春野 鈴女も勇ましく育った自分を随分と褒めてくれていた。
自分だけでなく他人も正しき道だと認めている。だからこそ自分は朱点童子打倒をずっと求めていたのだ。

でも、それでも。
自分の選択に間違いなど微塵も見当たらないと言うのに、何故これ程に自分は気落ちしているのだ?
これではまるで、今まで自分がやってきた事を悔やんでいるみたいではないか。

冬郷は再び答えの出ない思考の沼に沈み込んでいる。
眉を潜め悩む姿を見せている冬郷に向かって、昴輝は優しく問いかけた。

「冬郷さんってさ、大江山の朱点童子を倒したことを間違いだったって思ってる?」

冬郷は一瞬だけ言葉を返すことに躊躇したが、気を取り直すと静かに答えた。

「……いや。俺は俺が成すべき事を成したんだ。それが過ちだとは思っていないし、後悔もしてはいない」

冬郷は頭を横に振る。
朱点童子打倒を果たした事も、その結果として黄川人きつとという悪しき存在を開放してしまった事も、今後の為には必然な事柄であったのだと冬郷は理解していた。
己の選択に間違いは無いと判っていても、それでも何故か気持ちが晴れない事が冬郷を今ここまで悩ませているのだ。

「オレも冬郷さんと同じだよ。オレ達は何も間違った事してないって思ってる。……でもさ、前に雪衣ゆいさんが言ってたじゃん。『正論』が全ての人にとっての『正解』になるとは限らない、ってさ」
「……つまり、大江山の朱点童子討伐が俺達にとっての正解ではなかったと、昴輝はそう言いたいのか?」
「えっと、あんまり上手く言えないんだけど……」

冬郷の返しを受け、昴輝が少し困った表情を浮かべてる。
少しの間の後、昴輝は視線を青空へと向けた。

「……大江山の朱点童子討伐ってさ、それ自体はオレ達にとって正解でも不正解でもないよなって思うんだ」
「何を言っている。朱点童子討伐は俺達一族の悲願であり使命だろう?」
「そりゃそうなんだけど。でもさ、オレ達って去年対峙するまで大江山の朱点童子とは会ったことも話したことも無かったじゃない。呪いにしてもオレ達にはこの状態が当たり前過ぎて、オレ自身は呪いで思い悩んだことも無かったし。そう考えるとさ、今この家に暮らしてるオレ達にとって、朱点童子って存在はそんなに重要じゃなかったのかなって思えてくるんだよね」

昴輝の言葉を受け冬郷はただただ愕然としていた。
彼が素っ頓狂な事を言うのは今に始まった話ではないのだが、今回ばかりは返す言葉が全く見つからない状態であった。
何しろ昴輝が言っていることは真理を突いていたのだから。

確かに高千穂一族は朱点童子によって「短命」「種絶」と言う、京の町に住む人達よりも人間として生きる上でとても厳しい制限が課せられている。
でも、生まれてきた時からその状況下に居た冬郷達にとって、昴輝の言う通りそれが普通の状態なのだ。
例えるなら生物分類によって寿命や繁殖条件が変わってくるのと理屈は同じ。至極当たり前な常識過ぎてそれを疑問にも思わない。
極論を言えば、大江山の朱点童子を倒そうが倒さなかろうが、呪いが解けようが解けまいが、それらが冬郷達にとって日々の生活に影響を及ぼすことはほぼ無いのだと言えよう。
__これは、冬郷にとっては未知の概念であった。

昴輝は今一度冬郷の方へと顔を向ける。

「それと、これはちょっと前にイツ花から聞いた話なんだけど、雪衣さんには好きな人が居たんだって。でも、叶わない恋だったみたいで。……オレさ、その話を聞いてようやく雪衣さんが残した最期の言葉の意味が判った気がしたんだ」
「雪衣の、最期の言葉の意味……?」

『私の痛みは 私だけのモノ、もったいないから誰にも分けてあげない』

雪衣の遺言はイツ花経由で冬郷も耳にしていた。
今思い出しても冬郷には全く意味が分からない、これまで意味を理解しようともしなかった言葉だ。

「うん。雪衣さんはずっと高千穂家の当主としての正解を選び続けてた。でもそれは雪衣さん自身にとっては不正解な内容で、だから雪衣さんの抱えた痛みの正体は、雪衣さん自身にとっての不正解の塊だったのかな、ってさ」

そこまで言うと、昴輝は悲しげな表情を浮かべ冬郷の方へと視線を向けた。

「冬郷さんは覚えてる? 一昨年の、あの大江山討伐の翌月に雪衣さんが何をしたのかを」
「一昨年の大江山討伐の翌月というと、去年の一月の話か」

……あの時は、確か、雪衣の交神の儀が執り行われていた。

ここまで来てようやく、冬郷は昴輝の意図を理解した。
同時に、あれほど冬郷には理解出来なかった雪衣の行動の数々が、一本の線に繋がった。
雪衣が大江山の朱点童子に背を向けたのは、怖じ気付いた訳でも状況判断を誤った訳でもない。
高千穂家の行方に大きく影響するであろう重要な選択において、自分の願望を優先させることを当主として許せなかったのだ。

雪衣の想い人が誰だったのか冬郷は知らない。
それでも、叶わぬ想いを抱き続ける雪衣の心境は、何となくだが判る気がした。
随分昔に冬郷自身も感じた事があったのだ。もどかしく刺さり続ける棘のような胸の痛みを。

__不意に、鳥のさえずりが聞こえた。

「ん? これは春告げ鳥の声か?」
「春告げ鳥かぁ。……何かあっという間に季節が変わるね」

昴輝の言葉と重なるように、冬郷の中から過去の記憶が蘇ってきた。

『そうだな。桜のつぼみもほころび始めている。……きっと咲いたら壮観なのだろうな』
『そっか。冬郷は夏生まれだから、まだ桜は見た事がないんだっけ。……凄い綺麗だよ。満開の桜は圧巻だし、散り際の桜も幻想的で……本当に綺麗だった』

遠い記憶の向こうで、美しく微笑むあの人がいる。
あの人はとても強かで、気高くて、いつもどこか遠い場所を見ていた。
すぐ近くに居た自分の存在になんて、気にする事が無い程に。

冬郷の胸に残っていた棘が、思い出したかのように疼き出す。

「……昴輝、お前が言いたい事は判った。俺は自分が考えている以上に大江山の朱点童子討伐に拘りすぎていたのかもしれん。……それでも、俺は確かにそれを望んでいたんだ」
「冬郷さん……」
「俺はもう少し考えてみようと思う。本当に己が望んでいた正解が何なのかを。……ありがとう。色々と話を聞けて良かった」

そう言うと、冬郷は床に放置されていた和歌の冊子を拾い縁側を後にした。

心に残る棘は、俺が求める正解を伝えようと今も疼いている。
答えは未だ見いだせないが、それでも俺は探し続けなければならない。
時間が許す限りまでは。

__自分の時間が、あとどれほど残っているか判らないが。


大江山越え後の冬郷はずっと悩んでいる状態ですよという話。
まぁでもちょっと打開への切っ掛けは見えてきたみたいで、そこからどんな答えが出てくるのか楽しみにしていただければなと。

冬郷はですね、自分の信じる道を暴走ダンプカーの如く突っ走って行って、望んだ結果を出していった人です。
同時に直情的なあまり色んなモノを轢き散らして行ったので、各所に遺恨を残しまくっていると言うホント困った人でもあるのです。
ただ、それもこれも全て高千穂家の特殊な事情が生み出した悲劇であり、そういう意味では冬郷自身も被害者なのよね、と言うのが今回の閑話の趣旨でした。

俺屍の一族って本当に特殊な状況下で生きていて、そこから解放されるための物語をプレイヤーはゲームを介して見守っている訳なのですが、それってあくまでも「プレイヤー視点」なんですよね。
「一族視点」で見れば全く以て当たり前の日常なのであって、彼らの感覚ではごく普通に生きているだけで。
短命とか種絶とかそんなモノは彼らにとって最初から存在する全然特別では無い、意識すらしない常識なのです。
プレイヤーが亀や鯨のような人間よりも長寿な生き物に対して感じる内容と同じ事を、一族は京の市井の人達に感じているんだろうなって思うのです。

特に今現在高千穂家に居る冬郷達は、初代から数えて既に4〜6世代も離れています。
初代はおろか始祖である源太げんたやおりんの事情なんて、冬郷達には全くリアルには感じられないのではないでしょうか。

そんな中でも冬郷は極めてプレイヤー視点に近い行動を今まで取っていました。
朱点童子打倒を掲げる冬郷の行動は、プレイヤーから見れば俺屍一族が取るべき行動の筈なのに、何故か家族から奇特な目でずっと見られていた。
その答えが正しくコレなのでした。そりゃ冬郷の存在が浮くわよね、と。

……ホント、プレイヤー自身もプレイ記を綴りながら「なんつーやる気の無い一族を書いてるんだろう。読んでくれている方々にはウチの一族がどう見えているのかなぁ」と何度思った事やら。
(やる気云々で言えば信武しのぶの頃から既に半ば朱点童子討伐を放り投げた行動を取っていたので、その頃からずっとグネグネと思い倦ねていた訳ですが)

冬郷もやはり短命種絶の高千穂家に生まれ、それを当然として生きている子です。
なら何故そんな冬郷が朱点童子打倒に拘ったのか、今度はそこが謎になってくるのでして。
今回の閑話ではその部分も(全てではないのですが)描いています。
茜葎や雪衣の話題も出てきて、冬郷だけではなく雪衣達第4世代のクライマックスを感じる展開になってきたよなと思ってます。

昴輝も良い感じにアドバイザーとしての役割を果たしてくれてホッとしています。
冬郷と昴輝は生まれが近いので兄弟っぽい部分もありますが、世代としては別々に分かれます。
世代の違いから自然と状況の見え方が違っており、それを知った冬郷に対して何らかの変化をもたらしてくれるのかなと思います。

この辺は凄く悩みながら書いていまして、中々上手く昴輝を立ち回らせる事が出来ずにいて、下手したら昴輝はただチョコを持ってきただけのバレンタインマンになる所でした。
何とか形に出来てよかったよかった。

そうそう。これはちょっとした余談なのですが。
大江山越え直後の閑話であの人が「あの子達なら一年前でも十分倒すことが出来たでしょうに、何故(一年前に大江山越えを)止めたのかしら?」とか言っておりましたが、それに対する本質的な答えがこの閑話に出てきていますね。
世代をこれだけ重ねてしまうと、高千穂家と天界の方々との間でお互いへの認識にズレが生まれてきてしまうのですよ。
賢しい方とは言え、きっとその辺は理解出来ていないんでしょうね。
(多分、理解するつもりなんて毛頭無いような気が……)