1019年12月 閑話:春を迎える意味

それでもオレ達は生きる。オレ達の未来の為に。

四兄弟の中で初瀬と逢瀬がセット扱いなのと同じように、信武と命音もコンビな印象が強いです。
そんな二人の関係と、短命の一族として逃れられない現実について、今回は描いてみました。

まずは信武と命音の関係について。
彼らには三つの側面があります。

一つ目は「兄弟」
高千穂家に於いては「信武も命音も兄(長兄と次兄)」と言う印象が強くなっています。
(命音がしっかり者だから特に)
でも、二人は同じ母親を持つ兄と弟です。
命音にとって信武は唯一の兄で、信武にとって命音は初めて出来た弟で、やはりそういう意味では特別な存在同士なんだろうなと。
生まれた時期が近い兄弟だからこそ、遠慮無い言い合いも皮肉の効いた物言いも、二人の間では成立するのでしょう。

二つ目は「主従」
信武は高千穂一族の二代目当主です。
つまり、あの家では一番偉い人なんですよね。
命音は今まで生きている中で、信武が一家の大黒柱として様々な決断をしてきた姿を、恐らく一番近くで見ています。
幼かった頃は「この人、一体何やってるんだ?」と疑問に思っていた行動が、命音自身が成長すると共に意味を理解し、当主としての信武を大きく認識していったんだろうなと。
今回命音が明確な形で当主への忠誠心を口にしたのは、命音が大人になったから、なんだろうなぁ。

三つ目は「親友」
同じ呪いを持つ二人にとって、生まれた時期が近く、同じ時間を過ごす事の多い互いが、一番気の置けない相手なのでしょう。
1019年12月時点で元服済なのは信武と命音二人だけなので、命音の元服以降、双子が静かになった時間帯によく二人で呑んでいたりするのかな?
今回の閑話で、そんな二人の時間を表現出来ていたらいいなーと思っています。

……そして、もう一つのテーマである、逃れられない現実に関して。

思い返せば一年前(プレイ記上)
初代当主が家族の安寧を願って打った一世一代の大博打ですが、結果としては大失敗……としか言えない状況となってしまいました。
朱点童子打倒どころか、今の戦力では大江山に入れる状態ではないのですから。
ここでは今回の顛末について、高千穂一族の行動に絡むことのみで語っていきますね。
(プレイヤーの落ち度なんて幾らでも探せるので)

今年大江山へ行けなくなった理由は「当主である信武が朱点童子討伐を後回しにしていた」からです。
……って言っても信武が悪いとか、そういう話じゃありません。
だってコレは信武が、そうなる事を理解していた上で敢えて後回しにした結果なのですから。

初代当主の目論見は、永環が夏に他界した時点で瓦解しています。
信武にはそれが早い段階で予想出来ていたからこそ、初代当主から別途課せられていた「一族の道標」となる役目を優先させていたのです。
それが功を奏し、今の高千穂家は各々が自分の意思で自分が望む選択が(ある程度は)許される、とても仲の良い家族となりました。
一年前の、あの静寂に包まれていた高千穂家とは大違いです。

信武の選択は間違っていなかった。彼は十分、いや十二分に「二代目当主」としての役目を果たしている。
とは言え、頭で判っていても、中々心の中で割り切るのは難しいだろうと思います。自分が早々に死ぬ運命を受け入れるって事は。
だって信武はまだ一才越えた所なんだよ?
まだまだ自分が楽しいって思える事、面白いって思える事をいっぱい体験したい、そう考えているだろうに。
娘の茜葎とだって、一日でも長く一緒に過ごしたいと願っているだろうに、ねぇ……。

命音にしても同じ話……と言うか信武よりも辛い状況ではないかと。
彼が来年大江山に挑戦する為には、自身の寿命が男子最長でなければいけません。
間に合ったとしても健康度は思いっきり下がっている状態。
ぶっちゃけ永環の時よりも条件が厳しい訳で。

現時点で命音は元服を向かえたばかり。
年明けに子供が来訪予定で、心身共に一番充実している時期にいる彼に、この現実はきついものでしょう。
今年なら万全な状態で大江山へと向かえる筈なのに……そう考えても無理は無い。
だからこそ、信武は命音に大江山に行くか否か話を振ったのでしょう。
命音が望む人生を、命音自身が後悔無く選べるように。

信武は現当主として一族の……命音の命運を決める権限を持っています。
それを行使しなかったのは、二代目当主の、初代当主に対するアンチテーゼでもあるのかなと思っています。
彼にとってあの冬の日の出来事は、それ程までに受け入れがたい現実だったのだろうな、と。