1021年5月 閑話:サヨナラなんかは言わせない

君は今もきっと笑っている。


ああ、ここは知ってる。
何も無い暗い場所……前にも何度か来たことがあるな。
おばーちゃんに会った場所。
地上に行く時に通った場所。
交神の時に来た場所。
人生の色んなタイミングで現れた、不可思議な場所だ。
だから、死ぬ時に来る場所もここだったんだ。

茜葎あかりは周囲を見渡すが、相変わらず何も無い。
ただ以前もここを歩いていると知らない間に目的地へと着いていたので、このまま闇雲に進んで行けばきっと何かあるのだろう。
そこにあるのが天国なのか地獄なのかは判らないけど。
そう考えると、茜葎は早々にこの場を後にしようとした。

「__おいおい、ちょっと待てよ」

後方から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
茜葎にはもう二度と聞くことが出来ない、そう思っていた声だ。
まさか……と振り返ると、声の主は茜葎のすぐ後ろで無愛想な表情を浮かべつつ腕組みをしながら立っていた。

「お前、何も疑問も持たずにグイグイと先に進もうとして、少しは不安になるとかそういうの無いのかよ。……って、まぁ、お前らしいって言えばそうなんだけどな」
「稲荷ノ……狐次郎……」
「ああ、久し振りだな、茜葎」

稲荷ノ狐次郎いなりのこじろうは、相変わらずのシニカルな笑顔を浮かべている。
でもそれが却って稲荷ノ狐次郎らしくて、何だか茜葎はとても安心した。

「……もう会えないもんだと思ってたよ。神様って随分と粋なことしてくれるんだ」
「茜葎が地上で良い子にしてたからご褒美、なのかもな」
「ご褒美だなんて、そんな子供扱い止めてくれよ。折角こっちは素直に『気が利くな』って褒めてるんだからさ」

口では色々と言っているが、お互いの間に流れる空気はとても穏やかである。

「……でも、最後に会えて、話が出来て良かったよ」
「ん?」

茜葎の言葉に、稲荷ノ狐次郎は不思議そうな顔をする。

「後は大人しく成仏するだけだったから、その前にアンタの顔を見られて良かった」
「……そうか」

茜葎は顔を上に向けた。
背の小さい茜葎には、背が高めな稲荷ノ狐次郎を見るには、かなり見上げなければならない。
正直言うと首が痛いし、自分ばかりが大変で茜葎としてはちょっとムカつく話なのだが、この身長差は元からだから仕方ない。

「コレでもボク、アンタには感謝してるんだ。アンタに会えて生きるのがちょっぴり楽になったし、それに昴輝いぶきっていうお馬鹿だけど良い子を連れてきてくれたし……って、あの子本当にアンタが育てたの?」
「何だよ俺の事疑ってるのか? アイツは真性の、花丸付きの馬鹿だ。安心しろ」
「そっか、安心した。……ホントさ、その…………ありがとう」

茜葎は稲荷ノ狐次郎から目を逸らし、寂しげに言葉を続ける。

「……アンタは神様だからさ、この先もずっと天界で過ごして行くんだよね?」
「まぁ、そうなるな」
「その……ボクが成仏したら、アンタはもう好きに生きてくれていいからさ」
「………………」

稲荷ノ狐次郎の目が細くなる。
その目はじっと茜葎を見つめていた。
茜葎は気丈な振りをしながらも、顔は次第に俯き加減になっていく。

「ボクはともかく、アンタにはまだこの先長い未来があるんだから、きっと良い人も見つかると思う」
「………………」
「仮にもアンタ神様だし、その……何て言うか、アンタは一般的にイケメンって奴みたいだし、変な奴に引っ掛からないようにだけ気を付けてくれたら、それでいいから」
「………………」
「別にボクの事なんて忘れてくれてもいいんだし、その方がアンタも面倒じゃ無いだろ? だから……その……」
「………………」

一生懸命言葉を探しあぐねている茜葎に対して、何も話さない稲荷ノ狐次郎。
稲荷ノ狐次郎が言葉を返してくれないのが不安になったのか、茜葎は今にも泣き出しそうな、そんな悲しげな顔をしている。

「だから……さ、ボクが居無くなった後も、どうか幸せに……なって……」

ここまで茜葎が何とか言葉を紡ぎ出した所で、クククッと小さい声が聞こえた。
半分泣き始めていた茜葎は驚きながら稲荷ノ狐次郎の居る方を見る。

事もあろうに、稲荷ノ狐次郎は笑っていた。それも口元を袖口で塞ぎ、出来るだけ声が漏れないように。

「ちょっとアンタ何笑ってるんだよ! ボクが真面目に話してるのにっ!!」
「ハハハッ、悪い悪い。お前の暴走を見てたらついつい声が漏れちまったな」

稲荷ノ狐次郎は意地悪そうな笑顔を浮かべながら言葉を続けた。

「勘違いしてるみたいだから言っておくが、俺はお前を見送りに来たんじゃない」
「え?」
「迎えに来たんだ。……茜葎、お前が向かうのは天国でも地獄でも無い。天界だ」

茜葎の瞳が大きく見開かれた。
驚いた顔をした茜葎を見て稲荷ノ狐次郎はニヤリと笑うと、懐から和紙の札を取り出し、聞こえるか聞こえないか位な小さな声で呪を唱える。
それは煙を立てて燃えていき、その煙は徐々に子狐の形へと変化した。
札から作り出された子狐は、茜葎を見るとすぐさま飛びつき、首元に巻き付いた。

「ソイツは俺の式神だ。ソイツに言えば何時でも俺の居る場所に連れて行ってくれるさ」
「ど、どういう事?」
「それと、今からお前を連れて行く場所には、お前よりも先に行ったお前の家族も居る。詳しい話はそこで聞けよ」
「ちょっと待ってよ、アンタが何言ってるか全然判んない……」

稲荷ノ狐次郎が茜葎の頭に手をやり、優しく撫ぜた。

「これからはいつでも会えるって事だよ。まぁ俺の方からもたまにはお前の所に顔を出してやるから」

そう言われて、ようやく茜葎は事を理解した。
そして、茜葎の両目からぽろぽろと大粒の涙が流れ落ちてきた。

「何だよ、そういう事はもっと早く言えって。もうボクは二度とアンタに会えないって本気で思ってて……」
「泣かせてすまなかったな。ちょっと驚かせたかっただけだったんだが、やりすぎたか」

稲荷ノ狐次郎は茜葎の両目から零れる涙を指で拭う。

「泣くなって。ホラ、あそこから走ってくるのはお前ん所の家族ヤツラじゃないのか?」

稲荷ノ狐次郎が指さす方向を見ると、見覚えのある二人の姿がある。
初瀬はつせ逢瀬おうせだ。
二人の後ろに居るのは……逢瀬の近くに居る女神は恐らく交神相手だった春野 鈴女はるのすずめで、もう一人の男神は……誰だろうか?
茜葎は大急ぎで涙を拭くと、極力いつも通りの自分に戻ろうと背筋を伸ばした。

「あっ、茜葎だっ! やっほー! ……あっ、なにその子狐ちゃん可愛いっ!!」
「初瀬、それは山の上で叫ぶ言葉だろ?」

二人共相変わらずな姿に、茜葎は思わず笑顔になる。

「ああ、お前等も一緒か。……って火車丸かしゃまる、何でお前が居るんだ?」
「俺はさっきまで曾孫を地上に送り出してて、その帰りに顔を出したんだよ」
「へぇ、すっかり育児が板に付いてるじゃねぇか。さすがは神様一の育児上手イクメンだ」
「茶化すなよ、くそっ」
「まぁまぁ気にしないで、お・義・父・さ・ん!」
「鈴女、お前まで言うかよ……まぁ間違っちゃいねーんだけどさ」

拗ねる火車丸の姿を見て周囲から笑い声が漏れる。

「アレ、茜葎なんだか目がちょっと赤いけど、もしかして泣いてた?」
「そんな事無い。初瀬さんの気のせいだ」
「あまり詮索するなよ、初瀬。お前だってさっきまで父上に会えたのが嬉しくて大泣きしてただろ?」
「あっ、そういう事バラす? だったら私もさっきまでの逢瀬と鈴女さんの熱烈ラブラブ話をしちゃうんだからねっ!」

あまりにも今まで通りなやり取り。
茜葎はすっかり元の調子を取り戻し、笑顔を見せている。
その様子を見て、稲荷ノ狐次郎は安堵の息を吐いた。

最高神の考える事は未だよく判らないが、取り敢えず茜葎が幸せそうに笑っているならそれでいいか。
これからは自分の運命だとか課せられた役目とか、そんなのを気にすることなく、自由に生きていけばいい。
俺も時々茜葎を突きにいければいいし、これはこれで「めでたしめでたし」ってヤツだな。
そんな事を思いながら、稲荷ノ狐次郎は春野 鈴女や火車丸と笑顔を見せ合った。

……だがこの時、稲荷ノ狐次郎はまだ知らないのだ。
茜葎が稲荷ノ狐次郎を足掛かりに天界で骨董品ビジネスを展開し始め、それに自身も半ば強引に巻き込まれていく羽目に陥る事を。
そして、稲荷ノ狐次郎邸の数部屋が、茜葎の集めてきたよく判らない荷物で埋まっていくことを。

__でもそれは、また別の話。
今は取り敢えず、めでたし、めでたし、と。


茜葎と稲荷ノ狐次郎の話、再会編。
……何処へ行こうとも茜葎は変わらないねぇ。

基本的に高千穂一族がこの世を全うした後は、交神相手の神様が迎えに行って天界の高千穂邸へと誘導します。
それ以降についてはお互い会う会わないは自由で、一族側も神様も何をしようがほぼ制限はかからないみたいです。
……そんな訳で、今後は稲荷ノ狐次郎邸が茜葎の人外魔境部屋の餌食になる模様です。南無三。

天界内での時の流れは基本的に地上と同じですが、連続月逝去や同月逝去の時は「例の場所」で一族同士が落ち合うこともあります。
今回の場合、逢瀬が先に来て春野 鈴女と初瀬が来るのを待っていて、そこから茜葎の所に合流したと言う形ですね。
地上へ行く時も同じルートなので、地上へ向かう親神&一族と天界へ向かう交神相手&一族がかち合うことは十分にありえますが、今回残念ながら逢瀬は孫とは対面出来ませんでした。
この辺もタイミング次第ですね。

茜葎は自分の死後の事を随分杞憂していたので、稲荷ノ狐次郎様から話を聞いてとても安心したのかなって思います。
今まで自分を縛り付けていた現実という名の呪いから解放されたので、今まで以上にパワフルに活動していくんじゃないかと。
そのうちクルーズ船を買って大海原に乗り出していくかもしれません。天界にそんな場所があるかは知りませんが。
稲荷ノ狐次郎様、ファイト。

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