1021年9月 閑話:再会

ある舞台女優の悲劇


往来の間、そこはかつて利用されていた天界の玄関口である。
存在理由を無くし長らく閉鎖されていたこの場所は、薄暗く何も存在しない。ただ虚無が広がるだけの空間だ。
この異質な場を介する事で「世界が切り替わる」と言う心理的変化を促していたのだろうか?
……今となっては誰も知らない、失われた歴史となってしまっているが。

その場所で先程から一人の少女が周辺を見回している。
見慣れない景色に怯えているのだろうか。その表情には影が差していた。
いつも落ち着いた面持ちで凜とした印象を持つ彼女がそんな姿を見せるのはとても珍しい。

不安な様子の娘を見た椿姫ノ花連つばきのかれんは、やはり自分が迎えに来て良かったと心から安堵した。
本来なら交神相手である大隅 爆円おおすみばくえんが彼女の先導役となる筈だったが、彼では彼女を追い詰めてしまうかもしれない、ここは同じ血の通った母親である自分が行くべきだと無理に立候補したのだ。
逸る心を押さえつけながら、落ち着いた態度を取り繕い、椿姫ノ花連は自分の娘である雪衣ゆいの前に現れた。

「お帰りなさい、雪衣」
「お母様……」

母親の姿を確認した後だと言うのに、覇気の無い声色で返事をする雪衣。
しかしそんな事を気にせず、椿姫ノ花連は嬉しそうに言葉を続けた。

「今までよく頑張ってきたわね。あなたは一族の当主としての責務をしっかりと果たしてきた。その事を母としてとても誇りに思うし、こうやってまたあなたと会うことが出来てとても嬉しいわ」

満面の笑顔を浮かべ娘を褒め称える椿姫ノ花連に対し、雪衣の表情は暗いままで言葉を発さない。

「地上では大変だったと思うけど、もう大丈夫。これからは何不自由なく満ち足りた日々が待っているから、安心してね」
「え……?」

椿姫ノ花連の言葉に雪衣が反応した。

「それはどういう意味ですか、お母様」
「あなたは今日から天界で暮らしていくのよ。先に天界に来たあなたの家族達も、あなたの到着を心待ちにしていると思うわ」
「先に来た……家族…………」
「天界にもあなた達家族の家があって、これからあなたはそこでみんなと暮らすの。勿論、私とも好きな時に会うことが出来る。これからは地上に居た時みたいに制限を受けた生活ではなく、あなたがやりたい事を好きなだけ自由に出来るのよ。とっても素敵な話よね!」

雪衣の顔から血の気が引いた。
その表情は、椿姫ノ花連が想像していたのとは真逆の、絶望した様相である。
かすかに動く唇が何かを紡ごうとしているが、声にはならない。
そんな雪衣の姿を見てようやく椿姫ノ花連は娘の様子がおかしい事に気が付いた。

「……雪衣、どうしたの? 何故そんな辛そうな顔をしているの?」
「私は……この苦しい想いから解放されると……」
「そうよ。もう苦しい思いなんて一つも無くなるの。だから……」

「どうして……あのまま消えて無くならなかったの……?」

雪衣の目頭に涙が溢れる。
椿姫ノ花連には、雪衣が何故そこまで絶望しているのか全く理解出来なかった。
仕方の無い話である。椿姫ノ花連は地上へ行った後の雪衣の事を殆ど知らない。
雪衣の人生がどういうものであったのか、そして雪衣が自分の死にどれだけの期待を抱いていたのか、知る由も無いのだ。

高千穂 雪衣の人生は彼女が望む通りとても高潔で、彼女が望むような美しい終幕を迎えた、筈だった。
幕が下りれば消えて無くなるだけ。消えてしまえば苦しい想いも感じなくなる。そう信じていた。
……だから今までずっと耐えてこられたのに。

雪衣の膝が崩れる。
両手で顔を覆い、うずくまるように倒れ込んだ。その両肩は大きく震えている。

目前で起こっている突然の変調に、椿姫ノ花連は混乱した。
椿姫ノ花連にとって一族の死は解放を意味している。言葉の通り雪衣は責務から解放されたのだ。
解放は即ち幸福、そう思い込んでいたのだから。

自分の足下でうずくまり震える娘の姿を、椿姫ノ花連はただ見ていることしか出来なかった。


命音みこと、何をしているの?」

物干し場に居る命音に、永環とわが近づき話しかけた。

「ああ、布団を干しておこうかなって思ってさ。……雪衣の分の」
「ふふっ、娘が来るのが待ちきれないみたいね」
「まぁ、ね。……出来るだけ長生きして欲しいとは思っているけど、それでも気持ちは逸ってしまってさ」
「判るわ、その気持ち。私も早く孫の顔を見てみたいもの」
「母さんは雪衣に会ったこと無いからね。とても良い子だよ。料理が好きで、きっと母さんとも仲良くなれる」

雪衣の事を思い出しながら、命音は笑顔を浮かべ物干し竿に掛けていた掛け布団を広げる。

先に旅立った家族が皆この家に居ると知れば、きっと雪衣はビックリするだろう。
自分と再会した時、雪衣は喜んでくれるだろうか?
祖母の永環や曾祖父の巡流めぐるの事は知らないだろうけど、でもきっと雪衣ならすぐに馴染んで仲良く皆で暮らしていける。
……今の自分みたいに。

秋空の下に掛け布団が揺れる。
季節的にはまだ早い羽毛布団だが、いつでも雪衣が気持ちよく使えるようにしておきたい。
今の自分に出来るのはこの程度の些細な事しかないが、それでも雪衣が喜んでくれる姿が見られるのなら。
そんな事を考えながら、命音は太陽光に照らされた掛け布団を眩しそうに見つめていた。

命音はまだ知らない。
高千穂邸に雪衣が訪れない事を。


死んだと思ったら異世界に居た、なんて展開が流行の昨今(※記事作成時)ですが、それを良しとしない人も中にはいるよね、と。

雪衣は「自分の意思を貫き通すことで一生涯を綺麗に飾り立てた」人なので、死を迎えた時点で自分は消えて無くなるものだと思い込んでいたんだと思います。
それなのに「もう一回遊べるドン!」とか言われたら、今まで自分がやってきたのは一体何だったの?……って事になりますよねぇ……うんそうだよなぁ……。
天界側を書き始める時点でそんな事は思いつきもしなかったので、今になって「おおぅ……」と頭を抱えているプレイヤーです。

椿姫ノ花連様と雪衣、そして命音と雪衣の親子関係は普通の親とは少々ズレている部分があるのかなと思います。
雪衣と報世の親子関係もそうでしたが、お互いへの感情が普通の親子関係とは違い過ぎると言うか。
共通して言えるのは「親が親の役目を十分に果たしていない」って事なのですが、その内容は三人三様ですね。

命音に関しては何と言うか……命音と雪衣は似た者親子なんですよ。二代目当主の信武に対して仁義を通しすぎたという意味で。
だから雪衣にとっては父親と言うよりも先代当主の側近って意味合いの方が大きくなってしまった。
親子と言うよりは同じ郎党。故に親子と言う意味ではズレているのかなと。
命音は生真面目過ぎて感情表現が不器用な部分もありますからね。

椿姫ノ花連様については(全体的に失礼な物言いになってしまいますが)単純に考えがお気楽過ぎたのかと思います。
これは神様全体に言える話でもありますが、基本全てが他人事だと認識していて、だから人である雪衣の抱える苦しみや心の闇を「些末なこと」だと考えてしまった。
色々あったかも知れないけど、自分が居て父親の命音が暮らす天界に来たんだから雪衣はもう幸せでしかない、そう自分勝手に解釈してしまったのでしょう。
勿論、ここには「長らく雪衣と関わる機会が無かった」というファクターが加わっているので、仕方ない部分もあるのですが。

命音と椿姫ノ花連様、この二人が親だったからこそ雪衣があのような性格になったんだろうなぁ、なんて考えています。
どうも命音系統は親子関係に何処かズレが出てくる傾向が強いみたいですね。
報世の件も、雪衣との親子関係がそもそもの起因なので。

雪衣と報世に関しては、今後報世の物語という形で出していきたいなと考えています。
それでも少しだけ語ると、大隅 爆円様はこの件に於いて一番の被害者で一番の常識人です。
どうにも全然出てくる気配はありませんが。
(素敵な神様なのにどういう酷い扱いなんだ)

ちなみに現時点で命音は雪衣と信武との事には気付いていません。
(と言うか、地上に居た時は「そうならないといい」って心配してたけど、天界に来てからそんな事をすっかり忘れてしまった、と言う話)
もしも雪衣の顛末を命音が知ったらどうなっちゃうんだろうか……おお、くわばらくわばら。