1021年11月 閑話:君知るや椿の花

隠者は黙して語らない。


「なぁ命音みこと。珍しい酒が手に入ったんだけど、オレの部屋で一緒に飲まねぇか?」

信武しのぶがそういう誘い方をする時は、ほぼ確実に天界に関して何か興味深い情報を入手した時だ。
命音にとって彼の言葉から知る天界の様子は、ことごとく今までの常識を覆される内容ばかりである。
今回はどんな興味深い話を聞かせてくれるのだろうか?

得られた情報を楽しみに信武の部屋で酒杯を傾け始めた命音だったが、何故か信武はとりとめの無い世間話を続けるだけで一向に本題へと入る気配がしない。
命音は訝しげな表情を浮かべつつ、信武へと切り出した。

「どうしたんだよ兄さん。僕に何か話したいことがあったんじゃないのか?」
「え、あ、ああ。まぁそうなんだけどな……」

そう返事をすると、それまで流暢に話題を広げていた信武の言葉が煮え切らないものに変化する。
頭を掻き、暫く俯きがちになっていた信武だったが、しばらくして意を決したように真面目な顔で命音へと視線を向けた。

「命音。今から話す内容は、正直言ってお前にとって良くない話だ。落ち着いて聞いてくれ」
「どういう事だよ」
雪衣ゆいの話だ。……雪衣は既に天界に居る」
「えっ……」

信武の言葉に、命音の目は大きく開く。

稲荷ノ狐次郎いなりのこじろうからの情報だから間違い無い。雪衣は天界に来ている。でも……」

そこまで言うと、信武は手に持った耐熱用ガラスカップに入ったホットワインに口を付け、そのまま言葉を止めてしまった。
余りにも話しづらそうな様子の信武に対し、つい命音は我慢しきれず語彙を強めてしまう。

「兄さん。一体雪衣に何があった? 雪衣は今何をしているんだ? 答えてくれよ兄さん!」

それでも信武は黙ったままだ。
娘に何が起こっているのか心配で苛立ちを露わにする命音であったが、ふと我に返る。
雪衣を心配する命音の気持ちが十分に判るからこそ、話を続けるのを信武は躊躇ってしまっているのではないのか?
そう気付いた命音は、居住まいを正した。

「兄さん。そんなに言いづらい話なら言わなくてもいいよ。強要はしない」
「命音……」
「何事にも時期はある。兄さんが必要だって思った時に話してくれればいいさ」

信武の表情が少し申し訳なさそうなものに変わる。少なくても命音はそう受け取った。
ホットワインをもう一口含むと信武はカップを床に置き、立ち上がると近くに掛けてある自身のショルダーバッグから濃紺のケースを取り出し、再び先程まで座っていた床の上まで戻ってきた。
ケースを開けると、中には生前茜葎あかりに貰って以来ずっと持ち歩いていたタロットカードが入っている。
手際よくそれを取り出しシャッフルすると、何やら形を描くようにカードを配置した。

命音にはそれらが何を表しているのかよく判らない。
でも、信武は普段から「占いってのは問題解決への切っ掛けであって結論じゃない」と口酸っぱく言っている事から、きっと彼は今カードに何らかの助言を求めているんだろうと承知していた。

「二律背反、喪失、破壊……ねぇ」

並べられたカードを見る信武の目が細くなる。
黙ったまま視線を並べられたカードへ不規則に移動を続けたのち、手の中に残っていたカードの山から一枚取り出した。

「隠者の逆位置」

そう言うと、信武は目を伏せ空を仰いだ。
束の間ののち、信武は改めて命音の方へ視線を向けた。

「雪衣は今、母神に当たる椿姫ノ花連つばきのかれんの所に居る」
「椿姫ノ花連さんの所に……何故高千穂家ウチには来なかったんだ?」
「十中八九、オレが原因だ」

そう言うと、信武は深くため息を落とした。

「茶化すつもりは無いが、雪衣は本当にお前によく似てるよ。他人に対して献身的な所も、思い込んだら一直線な所も」
「何だよ兄さん。いきなり……」
「雪衣はオレに惚れてた。オレはその事を地上に居た頃から気付いていたが、オレには東風吹姫姫さんが居るからな。……雪衣もソコん所は判ってくれてると思ってた」
「えっ……?」

命音の表情は、信武の思った通りに信じられなさそうなものに変化した。
彼は娘に想い人が居る事を今まで知らなかった。
それに気付いていたからこそ、信武は命音に対し雪衣の話を言い出しづらかったのだ。

「人の気持ちって言うのは本当に難しいな。頭で理解していても、心が納得してくれない時なんてザラにある。オレは……雪衣に当主を譲るべきじゃ無かった」
「兄さん……」
「一応言っておくが、雪衣に当主職が不釣り合いだって意味じゃねぇからな? ……オレが雪衣を当主にしたことで、雪衣は二代目当主オレの存在に縛られてしまった。オレが雪衣を苦しめる原因を作ったんだ」
「………………」

衝撃的な事実の前に、言葉なんて出るわけがない。
そんな命音の心の内が信武には痛いぐらいに判っていたから、信武は敢えて命音の反応を見ずに話を続けた。

「オレ達が地上から居無くなった後、大江山での当主判断を切っ掛けに雪衣と冬郷とうごが一悶着起こしていたらしい。それが切っ掛けで雪衣は当主職を退き、茜葎の息子が次の当主になった」

信武が床の上に展開されたカードへ手を乗せる。
そこにあったカードが示していたのは、カップの2の逆位置とソードの8の正位置。
雪衣が「八方塞がり」の状態だったと伝えている。

「その後しばらくは前当主として高千穂家を支え続け、今年の秋口にオレ達と同じように天界へと来た。でも雪衣にとってそれは望まない出来事だった」

信武の手が別のカード……塔の正位置へと移動する。

「稲荷ノ狐次郎曰く、雪衣は天界来訪直後に心身の不調を訴えて、以降は椿姫ノ花連の所で静養しているらしい。ただ……」
「まだ、何かあるのか?」
「椿姫ノ花連の所へ行った後の、雪衣の動向が全く掴めない。茜葎が雪衣とコンタクトを取ろうとしているみたいなんだが、椿姫ノ花連の方が雪衣に関してダンマリを決め込んじまってるらしくて、今雪衣がどんな状況なのか全く伝わってこないんだ」
「そうなのか……」

命音は深く息を吐くと床に置いてあったカップを手に取り、ホットワインに口を付ける。

自分は何も知らなかった。
椿姫ノ花連から何も連絡が無かったと言う事は、きっと彼女にとっては雪衣の父親である自分ですら除外対象……雪衣を苦しめる存在だと認識しているのであろう。

「……教えてくれてありがとう、兄さん」

伏し目がちになりながら命音は言う。

「椿姫ノ花連さんのところで雪衣が幸せに暮らしていると言うのなら、僕はそれでも構わない」
「本当にソレでいいのか?」
「…………………………」

今度は命音が押し黙ってしまう番であった。
決して良い訳なんてない。命音だって雪衣とこの家で暮らして行く事を楽しみにしていたのだ。
地上に居た頃は武士として家に尽くす事を優先していた為、雪衣にはあまり父親らしいことをしてあげられなかった。
この場所で雪衣と再会したら、その時は父親らしい事をたくさんしてあげたい。雪衣と穏やかで平和な、親子らしい日々を過ごしていきたい。そう思っていたのだから。

「とにもかくにも、雪衣についてはまだ何も判っちゃいないんだ。コイツも情報不足だって言ってる。今は焦って動く時じゃないさ」

信武は最後に引いた隠者のカードを指でつまみ、命音の目前でヒラヒラと振る。

「雪衣に関しての情報は今後も集めていく。情報は逐次命音には伝えるから、お前はウチの方を頼むよ。雪衣……だけじゃないな。これからやってくるオレ達の子孫の受け皿である、この家を守り支えてくれ」
「判った、兄さん。よろしく頼むよ」

信武は並べていたカードを寄り集め一つの山にすると、きっと手癖なのだろうかカードを無意識に切っていた。
すると、突然一枚のカードが手元から飛び出してきた。
飛び出たカードは、まるで信武と命音へ自身の絵柄を見せつけるように、二人の間にひらりと落ちる。

「おっといけねぇ……って、ん? これは……」

カードを拾おうとした信武の手が一瞬止まった。

「……カードを混ぜてる時に飛び出てくる事がたまにあるんだが、それってカードの方がオレに何か忠告したい時なんだよな」

信武の指が慎重にそのカードを拾うと、絵の描かれた方を命音の方に向ける。

「死神。終わりを意味するカードだ。名前も意味もおっかねぇが、別にそこまで不吉なカードじゃねぇ……ただ」
「……兄さん?」
「最近何かとよく見るからな。正直確証も何もねぇけど、もしかしたら今後オレ達の周囲で何か起こるかもしれない。それが何なのかは今は全然想像つかねーけどさ」

そう言うと信武は死神のカードを山へと戻し、軽くシャッフルするとケースに収めた。
使命も何も無いありきたりの日常だけが延々と続くこの場所で、一体何が起きると言うのだろうか?
命音にも全く心当たりは無い。

「まぁ、ちょっと位は何かイベントがあった方がオモシレーかもな? 何も無さ過ぎるってのもツマンネーし」
「僕はもう少し静かに暮らして行きたいけどね。兄さんも茜葎もこっちが想像もしない事ばかり次々起こすからさ」
「難だよソレ、最近はそこまで大騒ぎはしてねーだろ?」

二人の会話が徐々に雑談へと移り変わっていく。

__何事も無い平穏な日々だけが最良とは限らない。
とは言え、必ずしも場が動いている事が正しいとも限らない。

もしも何かが終焉を迎える事態になったとしても、それが誰かを悲しませるような内容で無ければ良い。
心の片隅に住み着いた、ささやかなノイズの存在を確かに感じながらも、二人はそれを振り払うかのように今は酒の席を存分に楽しむ事とした。


プレイ記上で年末頃になると飲み始める兄弟の話です。
当初は通例に則り12月に……と考えたのですが、地上の方がそんな話をしている雰囲気にはならなそうなので一月前倒しにしました。
今も十分そんな状態じゃないだろうってセルフツッコミしたい所ですが……閑話を差し込むタイミングも結構難しいですねぇ。

こちら側も徐々に暗雲立ち込めてきているような感じになってきています。
地上と同じく雪衣が切っ掛けを作るのがまた何とも言えず。
さすがは「高千穂家の時限爆弾」の異名を持つだけあるというか。
(雪衣本人からすれば甚だ不本意な話だと思いますが)

雪衣が居る以上、雪衣の問題は何らかの形で解決させてあげたいと思っています。
とは言えその辺は全くノープランなので一体どう転んでいくのやら……今のところは「今後に期待」と言う事にしておきましょう。

物語にタロットを織り交ぜるのは結構楽しいのですが、同時にとても難しいよなと思う訳で。
既に信武のリーディング能力はプレイヤーの知識量を超えているので、表現し切れているかが謎です。
有識者な方に監修をお願いしたい。割と本気でそう思ってる。

タイトルにも入れましたが、雪衣は(母神様の影響もありますが)椿のイメージがあります。
控えめなところも、いざという時に潔いところも、とても彼女っぽいよなと思う所です。