1021年10月 閑話:色は匂へど 散りぬるを

花の命は短くて。


燈衣とういの鼻歌が居間から聞こえてくる。
これは……ああ、そうだ。たまにイツ花が家事をしながら歌っている歌だ。
そう言えば燈衣はイツ花と仲が良い。燈衣はイツ花と一緒に居るうちに覚えてしまったのだろう。
何の歌かは判らない。京の町では聞かないし、他の家族も歌っている当人であるイツ花もよく判っていない、歌詞すら忘れ去られた誰も知らない旋律。
原型から形を変えてなお人の心を掴むこの歌は、元々はどんな歌だったのだろうか?

__そんな事を思いながら、昴輝いぶきは自然と今へ足を向けていた。
居間の入り口に辿り着くと、昴輝はそっと中の様子を伺う。
中では燈衣が家に収蔵されている姿絵を床に広げ、ニコニコと楽しげに眺めていた。

「燈衣、とっても楽しそうだね」
「あれ、お父。もしかしてもう次の訓練の時間?」
「違う違う。燈衣の様子を見に来ただけだよ」

そう言うと、昴輝は燈衣の近くに座り、床に並べられた姿絵のうちの一枚を手に取った。
描かれた女性は皆美しく、そして艶やかな装飾類で身を包んでいる。
作者である歌麿氏は美の表現に定評があり、対象物全てにおいて彼が持つ美へのこだわりが凝縮されているように昴輝は感じていた。
恐らく燈衣も昴輝と同じ事を思いながら、姿絵の数々を眺めているのであろう。

「燈衣は本当に姿絵を見るが好きなんだね」
「うん。この絵の姐さん達がほんに羨ましいわぁ、こんなに綺麗に描いて貰えて。それにこんな綺麗な着物、着ることが出来るから」
「着物、燈衣も着てみればいいんじゃないかな? 燈衣ならきっと似合うだろうし、お店の方で生地を扱ってるから好きな柄の着物を仕立てることも出来るよ」
「何言うてんの。ウチこう見えても男なんよ? それにウチはまだ子供やから、こんな大人っぽい着物は着こなせへん。そうやなぁ……お父位まで大きくなったら、考えてみよかな」

でも……と言葉を続けた燈衣の表情は、少し諦めの色を浮かべていた。

「その頃にはそんな悠長なこと言ってられる程の時間、ウチにあるんかなぁ……」

その言葉が昴輝の心にチクリと刺さる。
燈衣の言う通り、高千穂たかちほ家は色々な意味で時間の制約が大きい。
人にとっての盛りの時期は、自分達にすれば一年もあるかどうかである。
その殆どを朱点童子打倒の為に費やしてしまう現状を考えれば、燈衣の憂いは重々理解出来る話だ。
でも、だからって、まだ初陣前の幼い子にこんな表情させては駄目だろう。

昴輝はふと何かを思い付き、燈衣の方を軽く叩いた。

「そうだ。燈衣、ちょっと一緒に来てくれないかな?」

昴輝が燈衣と共に来たのは、今は誰も使っていない居室の一つだった。
襖は常時閉められていて近付く人はいない。気のせいか周囲よりも暗く感じ、空気も重い。
燈衣もこの部屋の存在自体は知ってはいたものの、あまりにも不気味で部屋の近くを通るのも気が引けるような、そんな場所であった。

「……ねぇお父、この部屋って冬郷とうごサンが『人外魔境部屋』って言ってた所……やろ?」
「うん。今はそんな風に言われちゃってるけど、元々はオレのかぁさんの部屋だったんだ」
「え、そうなん? でも何でここだけこんな不気味な……」
「あはは……まぁ確かにあまり雰囲気は良くないけどね。別に怖い場所では無いよ」

そう言うと、昴輝は部屋の襖を開けた。
襖の向こうに見える景色に、燈衣は思わず目を見開いてしまう。

部屋には京でも昴輝の店でも見た事がないような、古びて異質に見える物が所狭しと積み込まれていた。
床は人が一人通れるか否か位しか見えない。
部屋の中はどうにも埃っぽく、湿った空気と独特の匂いが広がっている。
畳もどこか湿っぽく、あちこちで畳が物の重みに耐えきれず沈み込んでいるのが確認出来た。
あまりの物の多さに肩をすくめながらキョロキョロと部屋の中を伺っている燈衣の姿を見た昴輝は、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

「たまにオレとイツ花が換気してるんだけど、どうにも物が多過ぎて手が付けられなくてさ。かぁさんが居無くなってからはずっとこのままなんだよね」
「一体ばぁばは何してたん? 何をしたらこんな禍々しい場所になるんよ」
「かぁさんは古物収拾が趣味でさ、これは全部外つ国から仕入れた骨董品なんだ」

これでもまだ母が生前整理して少なくなった方で、一番凄い時は道場まで骨董品で埋まっていたらしい、と言い昴輝は笑う。
そんな父親から聞く祖母の武勇伝(?)に燈衣は若干引き気味な態度を見せていた。

「確かにコレはやり過ぎだとオレも思うけど、かぁさんの話を聞いてると集めたくなる気持ちが分かっちゃうんだよね」

昴輝の母親である茜葎あかりは、商人気質と懐古気質を併せ持った人で、生前は昴輝を部屋に招いてどれがどういうモノだったのかをよく聞かせてくれていた。
残念ながら昴輝の頭に母の説明は殆ど記憶に残っていないのだが、それでも母が伝えたかった郷愁の念は今でも昴輝の心の中に残っている。

昴輝は慣れた足取りで部屋を渡り歩き、部屋の中でも特段に大きい物体の前で立ち止まった。

「コレさ、『冷蔵庫』って名前で、昔何に使っていたのかは忘れちゃったんだけど、中に物が入れる事が出来るんだ」

そう言うと、昴輝は冷蔵庫と呼ばれた物体の中央に両手を入れ、前面の板を観音開きの要領で開けた。
中には木の箱が幾つか収納されており、これらは後になって昴輝が収納した物である。
昴輝はその中の一つを取り出すと、蓋を開け燈衣に中身を見せた。
中身を見た燈衣の目が大きく見開き、口元が綻び出す。

「え、これ、もしかして外つ国の装飾品? キラキラしてて綺麗や」
「ウチの店ってこういうのも取引しててさ。燈衣が好きそうだなって思った装飾品を幾つか取り寄せてみたんだ」

昴輝はそう言うと木箱の中に入っている装飾品の一つを取り出し、燈衣の耳に当てた。
黄金色の鉱物で作られた大ぶりの耳飾りだ。

「大人っぽい作りだけど、今の燈衣にもすっごく良く似合うよ」

木箱の蓋の裏に付いていた鏡を燈衣が覗き込む。
その目はとても輝いていて、頬もほんのり赤らんでいる。
昴輝は燈衣の両耳に耳飾りを付けると、袖口から小さな容器を取り出した。

「男だからとか子供だからとか、そんな理由で自分に制限をつけなくていいってオレは思うよ」

手に取った小さな容器の蓋を取り、容器の中に小指を入れると昴輝の小指は紅く染まる
昴輝は紅が乗った自分の小指を燈衣の唇へと押し当てた。

「やってみたい事があるんだったら、いつでも始めていいんだ。ウチは確かに色々と特殊な事ばっかりだけどさ、諦める事なんて無いんだって」

昴輝はもう一度、燈衣に鏡を向けた。
自分の唇に乗せられた紅を見て、燈衣は言葉を失ったまま顔を紅潮させている。

「手助けが必要ならオレに言ってよ、ね?」

昴輝は手に持っていた容器の蓋を閉め、燈衣の小さな手のひらに乗せると、その手を両手で包み込む。
手から父の優しい温もりを感じながら、燈衣は嬉しそうに何度も頭を縦に振っていた。

「__おい昴輝っ! 俺達が討伐に出ている間、お前は燈衣に何を教えていたんだっ!?」

先程討伐から戻ったばかりでまだ戦装束のままの冬郷が、今にも殴りかかりそうな勢いで昴輝の胸ぐらを掴み上げている。

「ちょ、冬郷さんっ! 待ってよ! 首苦しいって!!」
「一体どう教育したら燈衣があんなよく判らない状態になるんだ!」
「あれまぁ。よう判らない状態って、冬郷サンはえらい酷いこと言うわぁ」

昴輝に食ってかかっている冬郷の後ろから、燈衣は困った顔をして(その割には随分と楽しそうに)現れた。
女性が好みそうな明るい花柄の入った着物を身に纏い、昴輝に選んで貰った耳飾りを付け、化粧を施している燈衣は、しゃなりとした姿で二人に対して上目遣いを決め込んでいる。

「さっきもウチの気合い入れた艶姿見て、褒めてくれるどころか悲鳴を上げて逃げて行くんやもん。ホンマに失礼や」
「俺が相翼院へ行く前の燈衣はこんな姿はしていなかったぞ!?」
「うぐぐ……別に変な所なんて無いって……」
「あれを見て何も思わないだと!? 昴輝、お前の目は節穴か!?」
「あーもう冬郷サン落ち着いて。お父が白目剥いてるって。これ以上続けたらお空に行ってしまうわ」

自分はただ綺麗になりたい。素敵な衣装でこの身を着飾りたい。そして美しいものが好き。
そんな燈衣の心情を、頭の硬い冬郷に理解して貰うにはかなり時間が掛かりそうだ。
誰もが理解してくれる訳では無い。そう思うと燈衣は少し切ない気分になる。

「燈衣、今日の衣装は君に良く似合ってるね。いいと思うよ。……ってほら、父さん。昴輝を虐めるのはそれ位にして着替えに行きましょう」
「君は君の好きなようにすればいいんじゃないかな。……それじゃあ、僕は部屋に戻るね」

それでも理解してくれる人が居て、背中を押してくれる人も居る。
だから胸を張って自分らしく生きていこう、そう燈衣は改めて思うのであった。

「ありがと、みんな……冬郷サン以外、ね」


少数派の感性を持って生きていくと言うのは、どの時代に於いてもかなり大変だよなと思います。
(平安時代において多様性がどう扱われていたのかよく知りませんが)
燈衣の趣味は確かに大多数とは違うのかもしれないけど、だからって否定される事は無いし、我慢する事も無い。
そんな訳で、燈衣には今後好き勝手に生きて貰おうと思っています。
さぁて、燈衣はどんな風に暴れてくれるのかなー?
(もうどうにでもして気分のプレイヤー)

どうにも仲が芳しくない親子が多い中、信武系統は親子仲が良くて書いていて安心します。
昴輝と燈衣の組み合わせは友達親子状態でありながらも、昴輝がプレイヤーの想像以上に父親をしているのがいいですね。
昴輝の持っている可能性に期待を抱かずには居られません。

報世が燈衣の事を受け入れているだけでなく、燈衣に対して前向きな発言をしてくれたのはプレイヤーにとって良い意味で意外でした。
彼もまた一族の中で少数派な感性を持って生きている人間だから、燈衣に対してはそこまで辛辣な態度ではないなのかな、と思ってみたり。

今回、多数派の代表として冬郷には悪役?となって貰いましたが、いくら自分の感性に合わないからと言って冬郷が燈衣を矯正しようとしたり排除したりはしないでしょう。
ただただ「俺には理解出来ん!」とブツクサ言いながら、きっと自然に燈衣を受け入れていくんだと思います。

折角なのでこの機会に燈衣のチャット絵のもうちょっと大きい版を載せてみます。
チャットの燈衣ですが、実は化粧をしていて耳にピアスを付けているんですよ。
その日の気分でピアスや化粧を変えたりとかしておしゃれを楽しんでいるんだろうなと思ってます。