1021年5月 閑話:強く儚い者たち

何も失わずに、同じでいられると思う?


高千穂たかちほ 初瀬はつせと言う名の女が死んだ。
朝、あれだけ元気な姿で現れて、不気味な言葉を遺して去って行ったと思ったら、数刻後には動かなくなっていた。
突然現れて自分の好き勝手な事をやって突然消えていく、最初から最後まで理解不能な女だった。

白い布を顔に被せられた初瀬を前にして悲しむ家族の傍らで、報世しらせは視線を畳へと向け、そちらを見ないようにしている。
この場に居る人間は皆、故人を偲ばなければならない。そんな空気が鬱陶しくて堪らない。
特に、隣で泣いている昴輝いぶきに我慢がならなかった。
別に親でも何でもないだろうに、何でそこまで泣けるんだ。それもそんなおおっぴらに。

昴輝の嗚咽が聞こえる度、加速度的にイライラが募り、もう限界に達していた。
これ以上この場に居るのが耐えられない。

報世は突然立ち上がると、初瀬の居室から出て行った。

「おい、報世。待て……」
「止めなよ冬郷とうご。今は放っておいてあげな」
「ぐすっ、報世って初瀬さんと仲良かったもんね……ずずっ」

障子を閉めようとした時に、そんな家族の声が聞こえてきて、報世は更にイラッとする。
そんな訳無いだろ。本当にヤツらは単細胞だな。
報世はそのまま、自室へと戻っていった。

部屋に戻り、入り口の障子を閉め切ると、報世は思いっきり腹の底から息を吐き出した。
腹の底に溜まる、憤怒という名の大きな負の塊が疼く。
コイツが居座り始めてからというもの、何もかもが息苦しく嫌で堪らない。

報世は深呼吸をした。何度か繰り返し、腹の中で蠢くどす黒いモノを何とか落ち着かせようとする。
そして、ソレがようやく落ち着いた後、報世は懐から小袋を取り出した。

白藍を基調として可愛らしい意匠がちりばめられた、いかにも若い女性が好みそうな小袋だ。
小袋の中には、黄色い髪飾り用の紐が入ってる。
報世は無表情のままそれ取り出し、見つめながらぽつりと呟いた。

「結局返せず終い、か」

__思い返せば春の頃。
アイツらは家にある桜の木の下で暢気に宴会なんて開いていた。
報世も誘われたのだが、体調不良を理由に辞退した。
脳天気なヤツらの馬鹿騒ぎに付き合っている気分じゃなかったからだ。

それ以降、初瀬は事ある毎に報世を花見へと誘いにきた。
桜はまだ咲いている。一度間近で見ておいた方が良いと。
余りにしつこくてウンザリしつつも、それでもどうしても気が乗らず、報世は初瀬の誘いをのらりくらりとかわし続けていた。

そんな事を何度か繰り返したある日。
自室に居た報世は、突然聞こえてきた忙しない足音に軽くため息をついた。
最近は足音だけで初瀬の来訪が判るようになってしまった自分が嫌だ。
押し入れに隠れても初瀬の事だ、謎の直感で無遠慮に押し入れを漁ろうとするに決まっている。
……何となく初瀬の行動が読めてしまう自分に、報世は更に大きくため息を吐いてしまう。

「ねぇねぇ報世、居るよね? 開けるよ!」

まだ部屋の主が返事をする前に、報世の部屋の障子は勢いよく開けられた。
やれやれ……と少し呆れつつも、いつも通り「良い子」の対応をしようと初瀬の方に顔を向けた時、報世は己が目を疑った。

「報世ってば何度誘っても桜見に行かないからさっ、持ってきたよ、桜!」

初瀬は、桜の枝を抱えていた。
枝、なんて可愛らしいものではない。
どう考えても幹から直接切り落としてきたのであろう、大ぶりな桜の枝だ。

「ねっ、綺麗でしょ? 庭だともっとぶわーって咲いててすっごく綺麗だよ!」

それは知っている。
居間へと続く縁側から桜の木は見る事は出来るから。
初瀬の言う通り、満開の桜は遠目からでも綺麗だ。
もっと近くで見ておくべきだと言う初瀬の言い分も理解出来る。

……いや、でも、だからって、普通枝ごと持ってくるか?
確かにこれなら桜の花を間近に見えるが、だからと言って何で枝ごと部屋まで持ってくる選択をするんだ?
それに、そもそも桜の木は切っていいものなのか?

どう返事をすれば良いか判らずとりあえず無言で微笑んだままの報世に、初瀬は持っていた桜の枝を強引に渡した。

「はいっ、コレは報世にあげるねっ♪」

大人の初瀬が抱えていた位に大きい枝だ。まだ子供の報世には手に余ってしまう。
こんなデカブツ、どうすればいいんだよ……などと報世が考えていると、部屋の外から別の足音が聞こえてきた。

「初瀬さまぁー! どこにお見えですかー!!」

イツ花が初瀬を呼んでいる。
口調は探している素振りだが、足音はしっかりと報世の部屋に近付いてきている事から、どうやらイツ花は初瀬の居場所に目星をつけているらしい。

「やっぱりココだったんですネ! 初瀬様っ!!」
「あれ? どうしたのイツ花。そんな険しい顔をして」

いつも通りの態度で明るくイツ花に声を返した初瀬だが、イツ花の両手に握られている薙刀を見て、思わず「うわっ」と呟く。

「初瀬様っ! 桜の枝を切っちゃうなんて、何を考えてるんですかっ!!」
「あ、やっぱりバレてた? ゴメンね、イツ花」
「バレてた、じゃありませんよ! 桜の木に薙刀を立てかけておいてあれば、いくらイツ花でも誰が刈ったか判っちゃいますヨ!」

……ああ、そうか。刈ったのか、薙刀ソレで。

「こんな事しちゃダメじゃないですかっ! 桜は枝木を傷付けるとすぐ枯れちゃうんですからね!」
「え、そうなの? そんな話、全然知らなかったよ」
「それに以前、紫陽花を刈った時に『二度と植物を薙刀で刈らない』ってお約束したじゃないですかっ!!」

それも、コイツ前科ありだったのか。
どうりで庭の紫陽花の木に一部不自然な空間が開いている訳だ。

「とにかくっ! 出した薙刀はちゃんと片付けておいて下さいっ! それと、後で『これでもかっ!』って位に苦いお薬、たっぷり飲んで貰いますから覚悟しておいて下さいね!!」
「えー、それは勘弁してよイツ花ぁ……じゃ報世、またね?」

しょげた顔をしたまま薙刀を抱えて初瀬が帰って行った。
イツ花は「全くもうっ」と荒々しくため息を付くと、改めて報世の方を向いた。

「……報世様。その桜の枝、イツ花が何とかしましょうか?」
「え? ……ああ、そうですね。お願い出来ますか?」
「畏まりました。後で一部を生けてお部屋に飾らせて頂きますネ」

そう言うと、イツ花は報世から桜の枝を受け取り、報世の部屋を後にする。
……嵐が去った後の自室で報世は何をすれば良いのか判らず暫く呆然としていたが、まずは一人になりたいと思い部屋の障子を閉めに行く。
その時、縁側の廊下に何か落ちている事に気付いた。
拾ってみると黄色い紐のようなものだった。
少し考えた後、その紐の正体が初瀬の髪の毛を飾っている髪飾りだということに気付く。
きっと、桜の枝を運ぶのに夢中になって、桜の枝で引っかけて解けてしまったのだろう。
そんな様子を想像して、報世は無意識でふっ、と笑ってしまった。

(……気が向いたら返してやるか)

そう考えると、報世は黄色の髪飾りを手にしたまま、自室に戻り障子を閉め切った。

__あの日以降も報世は何度か初瀬に会っていたが、いつも突然出てきて突然帰ってしまうので、髪飾りを返す事が出来ずにいた。
何時でも返せるようにと懐に忍ばせ、そのまま持ち歩くのも変だなと思い白藍の小袋まで用意していたのに。
全部無駄になってしまった。

報世は手に持った小袋を握り絞める。

人間なんてあっけなく死んでいくモノ。
特にこの家の人間は、変な呪いの所為であっという間に居なくなる。
……そんな事はとっくの昔に判っていた話、だったじゃないか。

背にした障子から離れると、報世は壁を背に座り込む。
そして、両手で頭を抱えた。
また、腹の奥の黒い塊が疼き出す。

何で、何で、何でいつも、こうなんだ。
ちょっと気を利かせようとしただけじゃないか。
それなのに、期待させておいて結局お前も俺を裏切るのか?

報世の脳裏に、初瀬の最期の言葉がよみがえる。
最後に会った時、初瀬が報世に投げかけた言葉だ。

『地獄の釜で赤飯たいて、待っててやるわよ』

何だよそれ。お前何が言いたいんだよ。
どうせお前のことだ、思いつきだけの、口先だけの浅はかな慰めの言葉なんだろ?
人間なんて死ねば無になるんだ。
お前はもう居なくなった人間なんだ。それなのにそんな余計な事を言うな。
俺をこれ以上惨めにさせないでくれ!

報世が自分の拳を畳に叩き付けた。
拳は震え、その中には先程の小袋が握りつぶされている。

俺は一体いつまでこの苦しみを耐えなければいけないんだ。
こんな思いを一生抱えていなければいけないのか?

__こんな思いをする位だったら、この世に生まれてきたくなんてなかった。


よいこのみんなへ。
さくらのえだは、おったりきったりしては、だめだよ!
(桜の木はめっさ弱いので、ちょっとの傷が原因で傷んで枯れてしまうみたいです)

初瀬の逝去からの、報世の話。
報世の本質を少し出すことが出来たかなと思っています。
彼は猫かぶり……と言うよりは羊の皮を被った狼で内面はキツいですが、キツいなりに理由はあるんだな……って言うのを、うっすらとでも判って頂けたらありがたいです。
初瀬は多分、報世の事を野生の勘で理解出来ていたんじゃないかなーと思います。
だからこそしつこく話しかけてきたり、桜の枝を伐採してきたりしたのかなと。

ちなみに紫陽花の話は「1019年6月 閑話:今の私にできるのは」に出てきています。
三つ子の魂百まで、ですなぁ。

もしも雪衣と冬郷の間にある半年程の、交神が行われなかった空白期間が無かったとしたら、初瀬と報世の関係や報世自身も変わってきていたかもしれませんね。
この二人には少々時間が足りなすぎた。ただその一言に尽きます。