1021年4月 閑話:憧れのヒロイン

「選んでくれて、ありがとう」


「えっ? それって私達に地上の人間と結婚しろって事?」

那由多ノお雫は、地蔵堂 円子から突然告げられた話に目を丸くした。

「婚姻ではなく、交神……その、少々お伝え辛いのですが……」
「つまり、わらわ達に地上の人間と交わり、子を孕めと最高神殿は申しておられるのでしょう?」
「……ええ、そういう事になりますね」

言葉を濁していた地蔵堂 円子の代わりに、鳴門屋 渦女が直喩的な表現で意味を言葉にする。
その内容に、その場に居た女神達は皆、困惑した表情を浮かべていた。

その一報が伝わったのは、丁度仲の良い水神同士で集い談笑していた最中だった。
異能の力を持つ女神達とは言え、中身は普通の人間とは大差ない、感情を持つ妙齢の女性達だ。
似た素質を持つ女神同士だと共感しやすいからか、神位の近い水の女神達は頻繁に集まり交流を深めていた。
普段は共に輪の中で笑顔を綻ばせている地蔵堂 円子だったが、今はとても神妙な顔つきで俯き顔になっている。

「円子様がそんな顔する事なんてないですよ!」
「そうよ、どう考えてもあの人が言っている事の方が意味不明なんだから」

泉源氏お紋が地蔵堂 円子を慰め、八葉院 蓮美が憤慨する。
皆の言葉に耳を傾けていた月寒 お涼は、落ち着いた口調で言葉を発した。

「……それって全ての神様アタシ達に対する強制的な命令なのかい?」
「はい。男神は勿論、下命されたご本人も対象とのお話です」
「あの人の話を受け入れたとして、アタシ達に何の利があるって言うんだか。ねぇ円子、その辺に関しては何か聞いてる?」
「交神を受託した暁には、神格の向上が認められる事となる、と」

地蔵堂 円子の発した「神格の向上」の言葉に、泉源氏お紋が反応する。

「待ってよ。神格の向上って、そんなの出来る訳……」
「既にお地母ノ木実殿が交神を受託し、神位の上昇が確認されています。」
「神位って神格の高さで決まっているから……つまり私達も成長出来る……もっと偉くなれるって事よね……」

八葉院 蓮美が半信半疑の表情を見せる。
それも当然だ。天界では長く神位が固定化された状態が続いている。
例え今の地位に不満を持っていたとしても神位を上げる手段は存在しない、と言うのが定説だ。
遥か昔に時間の流れを止めた神々には、神位を上げる条件となる神格の向上……成長の二文字は到底あり得ない話なのだから。

「わらわ達が到底得られないモノを餌にしてまでも、あの御方は己が目的を果たしたいと申すのか」

鳴門屋 渦女は、静かにため息を吐いた。
それ以上、暫く誰からも言葉は上がらず。
この時の那由多ノお雫は、突然の状況に呆然とするしかなかった。

__その後、対象となる一族との交神が数度行われた。
最初は突然強要された交神という制度に対し不安や不満を覚えていた神々であったが、交神を受託した東風吹姫や春野 鈴女の話が漏れ伝わるうちに、皆その考えを肯定的に変化させていった。
あの日、困惑していた水の女神達もその限りではなく。

「……ねぇ蓮美。もしかしなくても交神って、運命の彼氏を見つける絶好の機会なのかな?」
「そうなのかもね、お紋さん。あの一族も意外といい人達みたいだし、私も選ばれてみたい……かも」

目下の話題と言えば、やはり交神関係である。
那由多ノお雫は、泉源氏お紋と八葉院 蓮美と噂話に花を咲かせていた。

そこに月寒 お涼、地蔵堂 円子、鳴門屋 渦女の三柱が姿を見せた。

「そこに居たんだね、お雫」

月寒 お涼が笑顔で話しかけてきた。地蔵堂 円子がその言葉に続けていく。

「あなたに交神の指名が来た事を伝えに来たの」

そう言うと、那由多ノお雫の目前に、いかにも快活そうな一人の少年の姿が映し出された。
ちょっと好みかも……なんて考えながら画像を見つめている那由多ノお雫に対し、泉源氏お紋と八葉院 蓮美は両脇からその様子を覗き込む。

「凄いじゃない、お雫。見た目結構いい感じの子じゃない?」
「いいなぁ、お雫さんが羨ましいよ」

そう言って自分の事のように喜ぶ二柱。
まだ現状を上手く受け入れ切れていない那由多ノお雫に、鳴門屋 渦女が優しく話しかけた。

「佳き報告を期待するわ。お雫殿」
「渦女様……みんな、ありがとうっ!」

皆からのエールを受け、那由多ノお雫は期待に胸を膨らませる。
この先に待っているであろう運命の出会いと、彼と迎える「情熱的なロマンス」が待ち遠しくて、早くその日が来ないかと心ときめかせていた。

……この時の那由多ノお雫は、確かに幸せの絶頂期に居たのだ。

「__母さん、父さんってどんな人ですか?」

不意に幼子が那由多ノお雫に話しかけてきた。
那由多ノお雫はそう言われて、ふと過去を思い出してみる。
しかし、母親が中々自分の問いに答えないのを見て、幼子は何かを察したのだろうか。

「……いえ、何でもありません。聞かなかったことにして下さい」

そう言って、話を早々に打ち切ってしまった。
その後、何も無かったように自分の隣で何も話さず控えている我が子の姿を見て、那由多ノお雫は思わず顔をしかめてしまった。

交神相手として出会った彼は、第一印象に違わず快活で自分好みな赤毛の少年だった。
しかし彼との間には、あれだけ待ち焦がれていた「情熱的なロマンス」なんて起きる事がなく。
交神自体も呆気無く終わってしまい、彼は早々に地上へと戻って行ってしまった。

後から聞いた話だが、彼には既に想い人がいたらしい。
那由多ノお雫を交神相手として選んだのは、単に顔が好みだったから。
……彼は最初から那由多ノお雫と懇意にするつもりなんて毛頭無かったのだ。

彼を思い出す度に、悲しさと悔しさで心がぐちゃぐちゃになってしまう。
隣にいる幼子を見ると、ただ浮かれていた自分が馬鹿みたいに思えて、この場から消え去りたくなる。
でも、自分は神だから、消える事も死ぬ事もできないから。
未来永劫、この地獄のような苦しみを抱えながら、情けない神様として存在し続けなければならないのだ。

那由多ノお雫は、自分の唇を噛んだ。
薄い唇が朱に染まる。
幼子はそれを横目に見ると、すぐに視線を別の方へと移動させ、何も見ていなかったかのような振る舞いを見せた。


冬郷の交神話。
……この絶望ジェットコースターは何事ですか?
とにかくまずは那由多ノお雫様には深く謝罪致します。
こんな事になってしまい本当に申し訳なく思っています。

まぁその何と言うか……冬郷の悪い部分が思いっきり表面化してしまった結果ですかね。
朱点童子打倒を掲げていれば問題無いと慢心し、相手への気遣いが欠けてしまった。
女神様が交神を受け入れるのは当然であり、相手が自分と同じ感情をもった女性だという事を忘れてしまった。
冬郷の性格から考えて、そんな状態だったのではないでしょうか。

冬郷自体は紛れもなく裏表無い良い子です。
けれど、どれだけ良い子だと思われていても、清廉潔白だと言われていても、たった一つボタンを掛け違えただけで、悪者にも加害者なってしまう。
神様側にも油断や思い込みがあったとは思いますが……もう何とも言い難いですね。

このズレがどれだけ広まるか、どう収束していくのか、プレイヤーも困惑中です。
……この先、どうしよう。