1018年8月 閑話:独り善がりの成れの果て

犠牲。それは想いの強さ。

犠牲って表面上は綺麗に見えるけど、残す禍根はかなりのものですよね。
方法によっては自己満足にしかならない。
……と、常々思う訳で。

その行動が吉なのか凶なのかを決めるのは、残す方では無く残される方。
人によっては残されてしまったが故に不幸になったと考える人がいるかもしれない。
犠牲者の「美しい志」に振り回されている運命を辿る人だっているかもしれない。
それを理解した上で、後先問題無い犠牲を選択する事が出来るのだろうか?

そんな事を考えながら描いていました。

巡流の思考は「自分<永環」なので、自己犠牲を強く感じる行動を時折見せてきます。
でも彼は恐らく深く考えて行動はしていない。
だから黄川人は淀みも無く犠牲と言い切る巡流に苛つきを覚えたんだろうなと。

話は変わって。
実は今月、興味深い出来事があったのですよ。
まずはこちらをご覧頂ければと。

一枚目は1018年6月、白骨城討伐前の巡流のステータス。
二枚目は1018年8月、相翼院討伐前の巡流のステータスです。

見て頂きたいのは、巡流の心のステータスですね。
最初からカチンコチンに高水準の心の土はさておいて、6月の時点では心の火が2番目に高い数値になっています。
それが、8月開始時点では心の火の数値を心の水の数値が追い抜いています。
相翼院討伐終了後のスクショがあれば良かったのですが、残念ながら無かったので結果だけ申しますと、心の水の値は更に伸び、心の火と心の風の数値がほぼ同じになっておりました。
つまり、巡流の心の火は6〜7月の白骨城討伐時から成長を鈍らせ、それと入れ替わるように心の水・心の風が急成長を始めた、と言う事です。

このステータス変化からプレイヤーが導き出した答えは「巡流は自分の手による朱点童子打倒を諦めた」でした。
そして「永環を含む次世代が朱点童子打倒を目指す方向へシフトチェンジした」と言う事なのかなと。
先に書いた通り、巡流は自分の存在をそこまで重要とは考えていません。
だから巡流は、こういう選択を容易く行う事が出来てしまうのかな、と思ってしまった訳なのです。

巡流の決断が今後にどう影響するかは未来の話として。
そういった巡流の行動理念にも、黄川人は苛ついているんだろうなぁと思っています。