1021年5月 閑話:語り継ぐ愛に

愛。それは命の源。


九重楼、風雷の間。
つい先程まで一戦を交えていた風神・雷神は姿を消し、周囲は風の音だけが響いている。
雪衣ゆいは周囲の様子を伺うが、これ以上進めそうな場所は見当たらない。
鬼の気配も無さそうだ。

「……どうやらここが最奥のようね」
「さっきの二柱がここの主という訳か。噂では人に火と風の熾し方を教えてくれた神らしいが……如何せん何を言っていたのかよく分からなかったな」

冬郷とうごが腕を組み、如何にも自分達には役不足だと言わんばかりの、不服そうな顔を見せる。

「しかし呆気ないものだ。これ程まで早々に消えてなくなるとは思わなかったぞ」
「そりゃあそうさ。思いっきり手加減してくれていたからね」

そんな冬郷の言葉に対し、思いも寄らない人物が言葉を返した。
雪衣、冬郷、昴輝いぶき報世しらせの4人は、一斉に声の下方向へ顔を向ける。
先程まで誰もいない、何の気配も無かった橋の上に、赤毛の少年……黄川人きつとが立っていた。

「君達だってそうだろ? 見知らぬ敵を相手に最初から全力で特攻を仕掛けてくる命知らずなヤツなんて、そうそういやしない。君ん家のお団子頭ちゃん位だヨ。……って今回は討伐に来ていないみたいだけどサ」

黄川人はそう言うと、昴輝と報世の顔をまじまじと眺める。

「へぇ……君達、何処かで見た顔だなと思ったら、前の当主とお付きの従者に似てるねぇ」
「それは信武しのぶ殿と命音みこと殿の事か? なら二人はその孫に当たるな」
「なるほど、だから似てるんだ。へぇ……」

冬郷からの返事に、黄川人は何やらニヤニヤした顔で大げさに納得をしている。

「君達……いや、君が不甲斐ないから、死んだヤツらが化けて出てきたのかと思ったヨ」

そう言うと、黄川人は視線を雪衣の方へと向けた。
雪衣は表情を変えず、黄川人をずっと睨み続けている。

「ふふっ、その目見ると思い出すなぁ、ボクが折角『先に進んだ方が良い』って忠告してあげたのに、無視して結局何も成せず消えていったヤツの事を」

黄川人は雪衣の目の前まで近付く。

「そう言えば君もソイツと同じ事してたっけ。大江山ではボクが勝てるって進言してあげたのに、無視して下山した……君もソイツと同じように何も成さずに消えていくつもりなのかい?」
「あなたにとって意味が無くても、私には意味がある選択だった。それだけよ」

雪衣が、黄川人に対して言葉を発した。

「あなたが言った『その人』だって、自分が望む選択をしただけで、それをあなたに色々と言われる筋合いなんて無いわ」

黄川人を睨み付けていた雪衣だったが、自分の言葉に対してふと何かに気付く素振りを見せると、少し辛そうな表情を浮かべた。

「……そう、全部私が選択したの。私が、私のために、選択したのよ」
「君は、自分の選択が間違っているとは思っていないのかい?」

雪衣は黄川人の問いに一瞬怯んだが、すぐ気持ちを立て直し静かに答えた。

「間違ってないわ。もしもあの時に朱点童子へ戦いを挑んでいたら、私は間違いなくその選択を後悔していたから」
「雪衣さんは何故自分が間違っていないと言い切れるんだ!」

そんな雪衣の言葉に反応したのは黄川人ではなく、脇で二人の話を聞いていた冬郷だった。

「あの時に朱点童子を倒せていたら、誰も喪う事は無かったんだぞ!」

冬郷は拳を握り絞め体を震わせている。

普段はあまり感情を出さず物事を淡々と合理的に決めていく雪衣が、何故あの時はいつも通りの判断をせず、不可解な理由で敵に背中を見せたのか。
「いつか理解出来る日が来る」と言った父の言葉を信じ、冬郷はずっと雪衣の事を理解しようと勤めていた。
しかし何度考えても判らない。考える度に冬郷の心中では不満と怒りが堆積し、既に限界に達している。
そんな折に出た雪衣の発言は、冬郷には到底聞き流せるものでは無かったのだ。

「父上も、初瀬はつせさんも、茜葎あかりも、全部雪衣さんが見殺しにしているんだぞ!! 家族として、高千穂家の当主として、何も思う事は無かったのかっ!」
「思わない訳無いわ。あの日から今まで何度も繰り返し自問してきた。それでも私には、この選択しかなかったの」
「何故っ! 何故お前はそこまで言い切れるっ! お前の選択でどれだけの人間が悲しい思いをしているか理解出来ないのかっ!!」
「分かってる、だからそれは今後私の背負うべき罪よ。罪は日に日に大きくなって、辛くて苦しいけど、でもっ……」

いつしか、雪衣の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。

「皆にとって大切なものを奪う代償を背負うと分かっていても、自分の中にある、あの人から貰った愛を守りたかったから」

__雪衣は信武と約束したのだ。彼の望む未来へと繋げる事を。
それは雪衣にとって、信武から受け取った色んな形の愛を大切に守り抜き、未来を生きる子孫達へと伝え渡す事だと理解していた。
彼からの愛がどのような種類かなんて関係ない。雪衣はこの愛があったからこそ、今まで生き抜く事が出来た。
そして、きっとこの先もこの愛は自分達や子々孫々を支えてくれると、そう信じて疑わなかったのだ。

あの時、もし雪衣が自分の欲望を優先して朱点童子を倒していたら、この胸の中にある愛はアイデンティティを失っていただろう。
自分の都合に合わせて変質させた愛なんて、雪衣にとって未来へ届ける意味を無くしたガラクタと同じ。
雪衣にはそれが許容できなかった。雪衣にとってはその方がより大きな罪なのだ。

雪衣の両目から流れ落ちるそれを自身の指で拭い、言葉を続ける。

「何があろうとも、私はこの愛を守り続ける。この愛を胸に、私は前へ進むわ」
「それを家族が……一族郎党が望んでいなかったとしても、かい?」

黄川人は、いつもの少しふざけた対応ではなく、ごく真面目な表情をしながら雪衣へと聞く。

「ええ。だってそれが私の生きている意味だから。今は理解されなかったとしても必ず今後の為になる、そう信じているから」

淀みない雪衣の言葉に「参ったなぁ」と黄川人は少し戯けた態度をとった。
でもそれはいつもの一族を揶揄する態度ではなく、どこか畏敬を感じるものであった。

「君には心底感服するよ。自分を悪者に仕立て上げて、自分に近しい人達をも贄にしてまで未来の出目に賭けるなんて、そんな大博打普通のヤツだったら度胸無くて張れないよ」

そこまで言うと、黄川人は冬郷の方を見た。
冬郷はまだ怒りの表情を浮かべたまま拳を震わせている。
当然だ。そんな事を言われて「はい納得しました」なんて簡単に言えはしない。
これが「普通」の反応なのだ。

「……お前は本気で言っているのか? 一族郎党を見捨ててまで……父上や茜葎を見殺しにしてまでも自分の我を押し通すと……」

冬郷の脳裏で、何かが千切れた音がした。
途端に体中に溢れかえった怒りの感情で頭が真っ白になる。
感情の流れる勢いに任せて、手に入れたばかりの新しい得物を落とした事にすら気付かずに、冬郷は雪衣へと詰め寄り胸ぐらを掴み上げた。

「貴様っ! 貴様の所為で俺はどれだけのモノを失ったと思っているんだっ!!!」
「冬郷……」
「こんな非道が許されて堪るかっ! 貴様のようなヤツが当主だとは……当主の権限を私利私欲に使うような人で無しがっ!!」
「ちょ、冬郷さんっ! 落ち着いてっ!」

冬郷の咆哮が九重楼内に響き渡る。
黄川人が現れて以降、場の流れる様をオロオロと見ている事しか出来なかった昴輝が、冬郷の異変にようやく動き出した。
今にも雪衣に殴りかかりそうな冬郷を諫めようとする。

雪衣は冬郷の言葉を静かに受け取り、少し悲しげな表情を浮かべたが、それすらも冬郷の癪に障った。

「何だ貴様、自分が被害者だと言いたいのか」

その言葉を聞いた雪衣の顔から瞬時に表情が消える。

「……いいえ、言い訳も取り繕いもしないわ。当主失格だと言われても当然よ。だから……」

そう言うと、雪衣は冬郷の手を無造作に払うと、右指に付けている当主の指輪を外した。
そして、それを近くに居た昴輝の手に乗せ、握らせる。

「これはあなたに渡すわ。今後はあなたに家の事を任せるわね」

「え? ……え?? えええええええっ!?」

突然の出来事に、昴輝の頭は大混乱を始めた。

「昴輝、落ち着いて」

先程自分が言った言葉を、今度は昴輝自身が雪衣から頂戴する事となってしまった。
ただでさえ今までの展開に頭が付いていかないのに、いきなり当主の指輪を渡されて「家の事を任す」と言われても咄嗟に理解出来る訳がない。
それでも何とか現状を理解しようとしている昴輝の近くで、それに感づいた黄川人が昴輝の求めていた答えを先出ししてくれた。

「いやぁ驚いた。まさか目の前で当主交代が行われるなんて、珍しい所に立ち会わせたもんだ」

黄川人の言葉からようやく現状を理解した昴輝が、焦った様子で雪衣にまくしたてた。

「むっ、無理だよ無理無理っ! 当主なんてオレには絶対無理だって! 雪衣さんが当主のままの方が絶対いいよ! だってオレそんな頭良くないし、馬鹿だし、すっごい頭悪いんだよ?? それに雪衣さんみたいに色々考えて動けないからっ!! ねぇ冬郷さんもそう思うよねっ!?」
「えっ、いや、そんな突然聞かれても……」
「オレだって突然過ぎて頭ぐちゃぐちゃだよ! ねぇ冬郷さん、お願いだから雪衣さんを止めて!? 冬郷さんだって当主はオレより雪衣さんの方がいいと思うでしょ!?」
「……昴輝、お前それは今のこの状態で俺に頼む事柄なのか?」

自分でも何を言っているのか分かっていない半泣き状態の昴輝と、そんな昴輝にすっかり毒気を抜かれてしまった冬郷のやりとりを見た黄川人は、大声で笑い出した。

「アハハハハハッ、コレは滑稽だネェ。君、自分が思っているより大物だよ。意外と当主の才能あるかもしれないネ」

そう言うと、チラリと先程からずっと場に加わらない一人に視線を送る。

「そこの君はどうなんだい? さっきからずっと黙り込んでるけど、当主交代に異議とは無いワケ?」
「……僕は若輩者ですから。母君の仰る事に異存はありません」

報世は穏やかに笑みを浮かべて、そう答えた。
どうやら報世を突いても面白くない、そう悟った黄川人はすぐに視線を雪衣達三人へと戻す。

「まぁ今回は面白いモノを見させて貰ったし、この辺で失礼するよ。これから当主として頑張ってネ、赤毛の少年君」

心底愉快そうな表情の黄川人は、クスクスと笑いながらゆっくりと姿を消していった。

黄川人が去った後、残された四人の中で最初に沈黙を破ったのは報世だった。

「皆さん。どうやらまだ討伐出来る時間が残っているみたいですので、一度下階に戻りませんか?」
「あ、ああ、そうだな。俺も報世の意見に賛成だ」
「そ、そうだね、うん」
「異論無いわ。行きましょう」

四人は、取り敢えず今は何も言わず、風雷の間を後にする。
根深い問題は多々あるのものの、まずは全て保留にして今やるべき事をやってしまおうと全員が理解した、らしい。
とは言え、四人共心中は複雑である。

冬郷は未だ釈然としないが、ここで話を蒸し返しても昴輝が混乱するだけだと悟り、取り敢えず今は閉口する事にした。
昴輝は頭が真っ白になってしまい冬郷に付いていくのが精一杯。
事の元凶となった雪衣は、黙して語らず二人の後を追うばかり。

そんな三人の姿を見て、最後尾に付いた報世は皆から少し距離を取り、気付かれないように小さくため息をつく。

(こんな妙な茶番に付き合わされて、こっちもいい迷惑だ。もし許されるなら、さっさとこんな家から逃げ出してやりたいぜ)

でも、それが無理なことは報世も理解している。
まだ天界に居る頃に報世は聞いていた。
もし逐電しようとしても、かの最高神がそれを許すわけが無い。すぐに殺され捨て置かれるだけだと。
逃げても意味が無いのなら不服ながらも居座るしかない。そう報世は自分の身の上について解釈していた。

それにしても……と思いながら、報世は前を歩いている雪衣の後ろ姿を見る。
いつ見ても無表情で淡々としていて腹立たしい存在だったが、今回の件で尚更嫌悪感が増してきた。

(よくもまぁ愛だの何だの口に出せるな。聞いていて反吐が出る。そんな事を言っていられる御身分かよ)

この女のご都合主義に付き合わされて、俺も辟易しているんだよ。
どれだけ周囲を巻き込んで迷惑を掛ければ気が済むんだ。
この分だと向こうで言われていた事も、あながち間違ってはいなかったって事か。
本当に、嫌らしい奴だ。

……顔を歪め瞳の色を濁らせていた報世だったが、軽く頭を振るといつも通りの穏やかな表情に戻し、そのまま何も無かったかのように隊列へと戻っていった。


……何でこうなった?

書いた当人も状況がよく分かっていない有様ですが、とにかく何故か当主交代が発生?したみたいです??
ねぇ、俺屍って自分勝手に当主交代出来る仕様だっけ??
それも交代理由が引責?これからどうするつもりなのよ雪衣???

とにかくハテナマークばかりがいっぱい浮かんでいます。

当初想定していた雪衣から次代への当主交代は雪衣が天寿を全うしたタイミングでした。
(と言うか俺屍のゲーム仕様上、そう考えるのが普通だよなと)
そのつもりでプレイ記の進行を考えていたし、今後出す予定の閑話も準備していたのですが、色々と雪衣にぶっ壊されました。
そもそも雪衣と冬郷が決別するなんて予定していなかったのに、何でこうも問題ばかり起こるんだ……。

今は昴輝のお陰で問題は全部有耶無耶にされている形ですが、早々に片付けておかないと今後に関わる気がするので、何とか考えてみます。
この大風呂敷、畳むの大変そうだ。

書いている本人も判らない事だらけな話ですが、その中でも「これは確かだろう」と思った事を。
雪衣が今回語ったのは、過去に信武が命音に対して言った内容と「ほぼ」同じです。
去年の大江山討伐で雪衣が朱点童子に挑まず帰ってきた時、双子や茜葎はそれを静かに受け入れたのは、雪衣の言葉の意味と己の立場を理解出来たからなのでしょう。

でも、冬郷や昴輝、そして報世は立場が全然違う。彼らは若すぎて近い未来しか見えていない。
雪衣と冬郷の間にある半年の差は、自分達が知っている以上に志向の違いを生んでしまったんだろうなぁ。
だから雪衣は「老兵は死なず」と潔く身を引こうとしたのかなと思います。