1021年4月 閑話:君だけのヒーロー

いつかはなりたい、君だけのヒーローに


まだ逢瀬が「高千穂 逢瀬」ではなく愛称の「かかし」と呼ばれていた頃。

逢瀬の父神である火車丸が双子の育児に慌てふためいていると聞いた何柱かの神が、興味本位でその様子を伺いに来ていた。
刺激の少ない日々を送る神様達の目には、人懐っこい幼児達の挙動がとても新鮮に映ったらしく、皆とても双子の事を可愛がってくれた。
その中の一人に、かの風神が居た。

「火車丸君、この子達すっごい可愛いね!」

二人の幼児の頭を優しく撫ぜながら、満遍の笑みを双子に向けながらそう言った風神の名は、春野 鈴女。
その名の通り、春の野原に居るような明るく陽気な性格と可憐な笑顔に、幼かった逢瀬は一目で心を奪われていた。
初恋、だったのだ。

逢瀬は春野 鈴女と仲良くなりたい一心で、彼女にその想いを素直に伝えた。
火車丸と共に逢瀬達の面倒を見てくれていた風神・鳳 あすかに相談し、住んでいた屋敷の花壇に咲いていた春野 鈴女に似合いそうな花を選び数本束ねて、それを手渡しながら。
しかし返ってきた言葉は、逢瀬の心を深く傷付けた。

「お友達から、はじめましょ?」

……自分は彼女から、男として見て貰えなかったのだ。
後から考えれば当然だろう。春野 鈴女から見れば当時の逢瀬はまだまだ幼児。
それでも彼女の言葉はとても優しくて、逢瀬の事をきちんと考えて対応してくれた。
でも、だからこそ彼女の言葉はずっと逢瀬の心に棘となり刺さり続けていた。

そんな幼い頃の、ほろ苦い思い出の日々から1年近く。
双子の相方である初瀬の後押しもあり、逢瀬は再び交神という形で春野 鈴女の前にまみえた。
逢瀬にとってはこれが、春野 鈴女と会える最後の機会。
この機会を取りなしてくれた初瀬の期待に応えるためにも、どうにか彼女に振り向いて貰いたい。
……その一心だった。

「あっ、かかしくんだ! こんなに大きくなって……何だか格好良くなったね」

あの幼かった少年が立派に成長した姿を見た春野 鈴女は、再会を心底喜んでくれていた。
しかし逢瀬は春野 鈴女の発した「かかしくん」の一言で察してしまった。かの女神が逢瀬の望むような反応をしていない事を。
逢瀬は春野 鈴女の言葉にはにかみながらお礼の言葉を返すのが精一杯で。

(ああ、やはり貴女は、俺を男としては見てはくれないのだな)

また一つ、心に抜けない棘が増えた。

春野 鈴女は、逢瀬の手を取り自らが暮らす場所を色々と案内してくれた。

「かかしくんの手、大きいね。……手を繋ぐのは、好き、かな」

そう言って微笑み返してくれる春野 鈴女の姿に惹かれる度に、逢瀬の心に刺さった棘は疼き出す。

信武兄さんや命音兄さんみたいに、もっと華やかな容姿だったら良かったのだろうか?
こんな「かかし」みたいな体格ではなく、男らしいがっしりとした体格の方が好みなのだろうか?
貴女の、貴女だけの男になるには、どうすればいいのだろうか?

そんな問いが何度も脳裏によぎる。

何度も同じような問いを繰り返しても、結局出せる答えはいつも同じだった。
この腕の中に己が身体を預けてくれたのは、逢瀬が交神に春野 鈴女を指名し、それを春野 鈴女が責務として受諾したから。
ただ、それだけなのだから。

「それじゃ、またね。かかしくん」

甘くも苦しい一ヶ月はあっという間に終わってしまった。
永遠の別れを前にしても、春野 鈴女は明るく逢瀬に笑顔を見せてくれる。
何度も見た、いつ見ても変わらない、その明るく可憐な笑顔。

多分これが、彼女とっての「おもてなし」なのだろう。
それが、物凄く悔しかった。
悔しくて、悔しくて、悔しくて、もうどうしようもなくて。

気付いたら、逢瀬は春野 鈴女を壁際に追い詰めていた。

「かかしくん……?」
「俺の名前は高千穂 逢瀬だ。……いつまで貴女は俺の事を幼児のままだと思っているんだ」

逢瀬のすぐ近くにある春野 鈴女の顔は、驚きの表情で固まっていた。
見開かれた瞳は、真っ直ぐに逢瀬を見つめている。

「俺は貴女の事が好きだ。幼少の頃からずっと、俺は貴女に恋し続けていた」

逢瀬の真剣で厳しげな表情を、春野 鈴女はビックリした表情のままじっと見つめている。

「あの頃みたいに『お友達』だなんて、そんな言葉で誤魔化さなくていい。俺に興味が無いのなら、そうはっきりと言ってくれ。ここできっぱり俺の事を振って欲しい」
「…………………………」
「今日が終われば、もう貴女と二度と会う機会は無いんだ……!!」

振り絞るように声を出した逢瀬の様子を見て、春野 鈴女は言葉を失っていた。
ずっと逢瀬を見つめていた瞳は、いつの間にか悲しそうな色を写している。

ああ、あんなに明るくて可憐な笑顔を持つ彼女に、あんな暗い表情かおをさせて。
俺は最後の最後まで、彼女に迷惑しか掛けられないのだな。

「……すみません、言い過ぎました」

そう言うと、逢瀬は春野 鈴女から離れ、踵を返す。
これ以上、春野 鈴女の顔を見続ける事が出来なかった。

「この一ヶ月、お世話になりました。……お元気で」

逢瀬が言葉を終えて、天界から地上へと帰る道へと向かおうと足を踏み出したその時。

「……お友達じゃ嫌。お友達のままなんて、そんなの嫌なんだからっ!」

去りゆこうとする逢瀬を引き留めるかのように、春野 鈴女が逢瀬の背中にしがみついた。
突然の事に、今度は逢瀬が固まる番だった。

「もう二度と会えないなんて、そんな事言わないで!!」
「鈴女さん……でもそれはどうしようもない事で……」

春野 鈴女の手に力が入る。

「会えるよ! 絶対会えるのっ! だって私が会いたいんだからっ!!」
「鈴女さん……」

逢瀬は一度空を仰ぐと、自分の背中にしがみついている春野 鈴女の体から離れ、もう一度春野 鈴女の方を向く。
そのまま、春野 鈴女の体を抱き寄せた。

「貴女のその言葉、俺に都合の良い解釈をしてもいいのか?」
「え……」
「貴女は俺に好意を抱いていると、そう考えてしまっていいんだろうか。……俺は、貴女の気持ちを知らないんだ。教えてくれ」

逢瀬の腕の中に居る春野 鈴女は、頬を紅く染めた。

「えっと、その、かかしくん……」
「もうその呼び方は止めてくれないか? 名前で呼んで欲しい」
「あ……」

春野 鈴女の頬が、更に紅く染まる。

「…………好き、だよ。逢瀬くん……」

辿々しく紡がれた春野 鈴女の言葉を聞き、逢瀬は安堵の笑みを浮かべる。
そして、腕の中に居る愛しい人が苦しい思いをしない程度に、自分の腕へ少しだけ力を入れた。
あとほんの少しの時間だけでも、この身に彼女の温もりを感じていたかったから。

程なく逢瀬は地上に戻り、まるで春野 鈴女と過ごした日々が夢だったのかと思う位に、いつも通りな生活へと戻っていった。
そして瞬く間に時は流れて、逢瀬と春野 鈴女との間に生まれた子供は明るく大らかに成長し、己が交神の為に天界へと向かっていく。
逢瀬はそんな息子の背を見送りながら、あの時の事を眩しく思い出していた。

記憶の中の彼女は、今も自分に向かって可憐な笑顔を見せてくれている。
でも、こうやって彼女を思い出す度に、互いの住む世界が違う現実を思い知り、逢瀬の胸は寂しさで張り裂けそうな程に疼き出してしまうのだ。
自分にはどうしようも出来ない事なのだと、頭では分かっているのに。

想いを果たせば消えると思っていた心の棘は、想い人に会えなくなった辛さに中身が変わっただけで、今も胸の中に残っていた。
この棘は、きっと逢瀬がこの地で生きている限り消えないのだろう。
それでも逢瀬は彼女への思いと共に、この心の棘を抱えていこうと思っている。
春野 鈴女から出た「絶対また会える」の言葉を信じて。

そんな逢瀬を愛おしむかのように、惜春の風が逢瀬の体を優しく包み込み、吹き抜けていった。


逢瀬の交神話。
ラストシーンを描きたいが為にこの時期まで後回しにしていました。

一族の子と神様の組み合わせがプレイヤー的に良いなーと思えば思うほど、交神を終えて戻ってきた後の事を考えるのが辛いです。
逢瀬はこの胸の棘をずっと抱えたまま、それを隠して一族の為に生きてきてくれたんだ……と思うと、ね。

今回の閑話では、春野 鈴女様の交神時台詞を拝借しております。
でも、一番最後の分は敢えて入れませんでした。
それは二人が再会出来た時の為にとっておこうと思います。
だって春野 鈴女様が「絶対会える」と言ってくれたから、ね。