1019年8月 選考試合:夏

……きっと子供達から直接、選考試合の話を聞く事を楽しみに待っていてくれたんだよね、永環…。

※1018年7月は白骨城討伐延長

※1019年8月は夏の選考試合に未出場の為、休養

こうやって見返すと、永環が休養したのは最期の月となった今月のみなんだね。
初めて高千穂の屋敷に訪れた1018年4月から、ずっと休養無しで走り続けていたんだなぁ。

永環はホント一族にとって陰の立役者でした。
戦力としては薙刀士として複数の敵を一気に屠ってくれて、とても頼もしかったです。
巡流と二人での討伐が多く戦力不足で苦労していたと思いますが、そんな最中でもしっかり巡流を支えてくれていました。
また三度の交神で強い子達を高千穂家に迎え入れてくれて、戦力を上げてくれた功労者でもあります。

巡流が当主の間は何かと彼に振り回されていた印象が強かったのですが、信武が当主になってからは子供達を守る母としての力強さ・心強さが見えてきたように思います。
四兄弟が良い方向に成長を見せてくれているのは、永環の教育が良かったお陰なのでしょうね。

巡流との不和については、本当に永環に辛い思いをさせてしまったと思っています。
永環自身は「巡流の娘」として父子仲良く暮らして行く時間をもっと望んでいたのでしょう。
きっと巡流だって、こんな状況下じゃなかったら永環の事を永環が望む形で慈しんでくれていたかもしれない。
一族に課せられた「呪い」は短命や種絶だけではないんだなぁ…。

討伐よりも家事が好きで、裏表無く父親を慕っていた永環は、ごく普通の少女でした。
晩年の母としての立ち位置は、ごく普通の少女だった永環だからこその選択だったんだろうね。
そんな永環だったから、この遺言なのかもしれません。

今際の際に少し戯けた言葉を残したのは、多分子供達の悲しむ顔を少しでも和らげる為。
そして、今後子供達だけで朱点童子打倒を目指していかなければならない状況を思っての言葉なんだろうな。
責任は自分が負うから、あなた達は好きなように進みなさい、と。
永環は子供達だけでなく子孫達をも守ろうとしてくれているんだね。

最期の最期まで家族の為に生きてきてくれた永環。
あなたは正しく「一族の母」でした。
ありがとう、永環。

高千穂一族初代の物語は、これで本当に終幕です。
あの不器用だった父娘二人の日々は、これから先に高千穂家が綴っていくであろう歴史の一端となってしまうのだなぁ。

主な戦利品:唐物茶入、天目茶碗、御井戸香炉、竹二重花入、竹尺八花入